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テーマ:小学生ママの日記(28705)
カテゴリ:子育てあれこれ
突然ですが、いじめについて。
いじめによる自殺が相次いでいます。どうしたら止められるでしょうか。 自殺するほどひどいいじめというのは、殆どが集団いじめだと思います。1人にいじめられても、別に交流できる相手があるならば、死のうとまでは思わないでしょう。複数によっていじめられ、手をさしのべてくれる相手をみつけることもできないと思うから、生きる望みを失うところまで行ってしまうのだと思います。 まず、驚いたのは、新聞でみた限りで、文部省によるいじめの定義に集団いじめが含まれていないことです。いわゆる弱いものいじめがいけないとし、いじめが継続的に行われていることがいけない、としています。弱い者を強い者が集団で、という概念すら入っていません。でも、そもそも強い者が弱い者をという構図になっていなくても、集団でなら1人をいじめることができます。学校の対応が遅れる場合が多いのは、文部省が遅れているからです。 集団いじめがいけない、ということは、そもそも概念として、この国で確立してるんでしょうか。テレビの報道などを見ても、いじめがどういけないのかの概念が抜けている気がしてなりません。 強い子Aちゃんがいて、他の子が全員で無視したとします。悪いのはどちらでしょうか。 Aちゃんにも原因がある、として、何が悪いのかが曖昧にされることが多いのではないでしょうか。 Aちゃんが嫌われる子だったとしたら、嫌われるのは当然でしょう。でも、それでも、集団でみんなで無視することは、やってはいけないことなのです。 自分はあの子は嫌い、は、構わない、でも、複数で申し合わせて一緒にのけ者にしたり、嫌がらせをしたりすることは、絶対にやってはいけないことなのです。Aちゃんが弱い子の場合も同じ。Aちゃんが外国人であっても同じ、Aちゃんが汚い子であっても同じ、Aちゃんが身障者であっても同じ、Aちゃんが変わった子であっても同じ。Aちゃんが犯罪者の子供であっても同じ、Aちゃん自身が、犯罪を行ったことのある子であっても同じです。 集団で排除してもいいということは、裁判の判決が下った時に初めて保障されます。そうでない限り、どんな人であっても、集団で排除していいということはありません。一般人が判断することではありません。そうされないということは、基本的人権なのです。 今、子供の自殺を食い止めたいと思っている大人たちは、それが分っているのでしょうか。 いじめられている子を見た大人は、それが個人的なケンカや行き違いであるのか、集団で1人を排除しようとしているのか、リトマス試験紙のように、判断をしてあげて下さい。子供は分らないのです。でも大人は分からなくてはダメです。 Aちゃんのアレが気に入らないのは分る、でも、君がBちゃんCちゃんといっしょになってAちゃんに何々をしたのは、いけないことなのだ、と教えてあげて下さい。 教室でも、「いっしょになって1人にやることはいけないことなのだ」と、話して下さい。 それだけでも救われる子がいるはずです。いっしょになってやらなかったDちゃんEちゃんは自分の仲間かもしれないと考える余地ができます。嫌われる部分のある自分も悪いかもしれない、でも、それでも、集団でいじめた彼らは悪い、そのことは他の子達は知っている、と考えられるようにしてあげて下さい。 集団いじめ自体を、いけないこととして概念を確立して下さい。 個人の確立が弱い、教育はそこの現状を考え、改善を模索しなければならないと思います。新聞で前文を読んだだけですが、教育基本法の「改正」案は、全く逆の方向に行こうとしてはいないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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