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57期修習生のホームページを見ますと、多くのページが2回試験の合格発表や検事任官をもって、閉鎖なり停止なりという形を採っています。
最果ての地で修習された方のページも最近は見ることができなくなってしまい、また、検事に任官された3人の方のページも更新停止という形になりました。寂しい余りです。 この業界、守秘義務という重い義務があり、また、検事や裁判官については、公務員の中でも、司法関係と言うことで、表現の自由については特に重い制約が課されています。 また、検事については組織体としての要請も大きく、一検察官が自由にホームページ上で意見を言うというのもなかなか難しいようです。 裁判官についても、一時期ほどではないにせよ、上からの縛り、というのはやはり結構あるのではないかと思います。出すぎた杭は打たれないかもしれませんが、出る杭はやはり打たれるでしょう。 ただ、私が今思うのは、法曹界、とりわけ裁判官については、ごく普通に生活している人にとって余りにも縁遠い、かつ、イメージが掴みにくい職種であるということです。 裁判官という仕事に就いている人も、事件の真相がどういうものなのか普通に悩んでいることや、判決を出した後も本当にその判決が正しかったのかどうか、時にくよくよしているところもあることなども、分かって頂きたい気もするわけで、もちろん、それでもきちんと仕事に向き合って頑張っているわけで、そう言う意味で、もうちょっと裁判官という仕事について具体的な良いイメージを持って頂けたら、とも思います。 まだ私は裁判官でもなく採用待ちの人間に過ぎないのですが、実務修習地での裁判官の様子や、研修所の教官の様子を見るにつれ、多くの裁判官がそうしたイメージをより広く持って頂きたいと思っているように見受けられます。 より広い意味では、裁判というものに対して、また、裁判という場で前提となる法律というものに対して、もっと広い関心を持って頂けたら、と思っているように見受けられます。 基本的に裁判所はあんまり行きたくない場所かもしれません。しかし、やっていることはごくごくまともなことです。法廷が近くなると言うことは、訴訟などの揉め事が表沙汰になりやすいと言うことでもありますが、同時に、やくざさんなり怖い人なりをそれなりに静かにさせつつ、交渉させることもできますし、うやむやにされて誤魔化されていたことをそれなりに明るみに出すこともできるわけで、社会的に見て、結構、というか、かなり健全なことをやっていたりします。 あるいは、裁判官を批判する論説や出版物もありますが、それらは確かに存在するかもしれませんが、それはやはりごく一部だと言うことを分かって欲しいというのもあるかと思います。 (ここから先は任官希望者の採用待ちの心理状態というのを踏まえた上でお読みください。) そう言う意味で、私がこのページを続けることの意味はあると思います。ただまあ、走狗と見られて、誰かから利用されるのも嫌ですし、組織内で変な目で見られるのも嫌です。なんらかのプレッシャーを受けることもあるのではないかと、今更ながら萎縮的効果を感じることもあります。 例えば、このHPが不利益評価されて、裁判官の公正らしさに欠ける、と判断されて、採用試験で落ちていることもあるかもしれません。 実際にそういう事実があるかどうか、というのも問題ですが、同時に、任官希望者が何らかの形でそう言うプレッシャーを感じていると言うこと自体がこれがまた結構な問題なわけです。 立場上、発言に気を付けないと行けないのはもちろんなのですが(あんまり好き勝手なことを行っていると信頼を失いますしね)、社会生活の範囲、要は色々と遊びに行ったり、社会勉強したり、新しい友達付き合い、人間関係ということについても、どうにもこうにも億劫になってしまいがちにならないか、ということです。 基本的にはたぶん考え過ぎなのですが、要はそれだけのプレッシャーを感じてしまうというのが問題なのだと思います。もちろん、最初に述べたとおり、採用待ちの不安定な状態だからここまで感じるだけなのかもしれませんが。 そう言うわけで、今後のこのページの行方については未だ悩み中です。難しいですねえ・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年10月05日 00時42分22秒
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