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カテゴリ:□なた@楽な思い
バースデープレゼントとかそういうのではないです。
某人が、「被災者の子供にプレゼント」したものがきっかけで、ちょっとした事件がおこってますね。 ~世界的にも有名な某アイドルが、ある被災地の子供にゲーム機をプレゼント それが被災地にボランティアできていた子供にまでわたった事に対し、 「避難所にいる子供ではない子供にまでわたったのはおかしい」というクレームがあり、 そのクレームに対し、公所が与えられたボランティアの子供達のゲーム機を回収したという事件~~~ なんだか、残念な話です 全世界で、日本の被災者を助けようとする動き、、、ありがたいことですね。 すばらしいことです。 日本の中でもできる事を。。。と一生懸命動いていますよね。 募金だったり、労働力だったり、物資だったり、娯楽だったり、 公平な支援というのがどれほどむずかしいのだろうかって思うのです。 また、何を基準に公平というのか。も。 ゲーム機を与える事は、すばらしいアイデアでしょうか。 私は、一人余さずにあげることができるのなら、すばらしいと思います。 でも、それが、一部の地域だけなら、避難所だけなら、、、、 やらないほうがいい。 私が常々、「ボランティアは難しい」とおもう事が現れた一つの事だと思いました。 プレゼントした方は本当に、善意だったと思います。そうあってほしい。 でも、よ~~~~~く考えてほしいと思うんです。 子供にゲーム機を送るというアイデア~あさはかすぎませんか? 私は、子供にゲーム機を持たせていません。 そのリスクが大きすぎるし、その必要性がないし、ないならないなりに、子供は対応できます。 友達とも問題なく過ごせてます。 そんな思いも、あって、、、 被災者という位置づけも、何処までを被災者というのでしょう。 記事にもありましたが、 今回、物理的には被災していなくても、 今回の事は、子供の心に非常なショックとして残っています。 うちの子は、一人で留守番ができなくなりました。 これも、被災でしょう。 うちの子がもらえなかったからという話をしているのではありません。 また、うちの子が、物理的な被災を受けた子供に対し 「僕は被災していないから」といってもらったゲーム機を渡したとしたら、、、、 それもおかしな話です。 被災した子供をかわいそうと思う基準は、いらない基準だと思います。 大変な事だけど、自分が優位にたてる事ではない。 うまく説明できませんが、、、、 主人が亡くなったとき、 「うちの子供達がかわいそうに」と多くの人に言われています。 それを攻めるつもりはありませんが、私の中ではいつも、「NO」です。 私は、ず~~~~~っとそれがひっかかってます。 うちの子供達は父親がいなくて、多少他の子より苦労するでしょうが、 かわいそうではありません。 他の子供と一緒です。特別扱いは、いらないんです。 そんな、いろんな気持ちがまざって、某アイドルのした事に、ちょっとだけ、残念な気持ちを思った私。 歌をもらうならいいんです。 そのときだけだから。 そういう事をもっと深く考えてほしかった。 こう思う私は、「所詮、物理的に被災していない側だから」でしょうか。 私の思い、皆さんに上手に説明できたかしら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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