沖国大・ヘリ墜落事故 整備兵4人書類送検
2004年8月13日に米海兵隊のCH53D大型輸送ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落し、乗員3人が負傷した事故で、県警は1日、航空危険行為処罰法違反(過失犯)の容疑で、事故原因をつくり出した整備兵4人を氏名と年齢不詳のまま那覇地検に書類送検した。氏名の特定などの公訴要件を満たせず、すでに整備兵らが米軍法会議で処分を受けたなど米側が第1次裁判権を行使していることから不起訴の見通し。事故は今月13日に時効を迎える予定だった。
県警の調べでは、整備兵らは整備マニュアルの記載手順に従わなかった過失により、事故発生日の午後2時18分に宜野湾市の沖縄国際大学構内に同ヘリを墜落させ、航空の危険を生じさせた疑い。送検されたのは、普天間基地所属の2等軍曹2人と伍長2人=階級はいずれも当時=で、全員の氏名と年齢が不詳のままとなった。
県警は事故直後から米側に整備兵らの取り調べや氏名、所属の公表などを求めていたが、米側はこれを拒否した。県警は警察庁を通じ、日米合同委員会で氏名公表などを求めていたが、米側は米国内のプライバシー保護法を根拠に氏名不開示を日本政府側に伝えていたことが5月にも明らかになっており、捜査は事実上終結していた。
米側は事故報告書で「整備兵がヘリコプター尾部の接続器具コッター・ピンの装着を忘れて飛行させたのが事故原因」と結論づけている。事故機はピンの付け忘れでボルトが折れ、油圧システムが利かなくなった尾部羽翼の角度が調節不能となり、羽翼が垂直板にぶつかって飛散し墜落したとしている。
事故直後、県警は同法違反の容疑で事故現場の検証や事故機本体の検証を米側に委託することなども求めたが、いずれも拒否された。米軍が事故機を撤去した6日後にしか、県警は現場検証をできなかった。米軍が事故報告書をまとめて以降、専門家による鑑定など事故原因についての裏付け捜査も進めていた。