「トットちゃん!」第11週
黒柳徹子さんの軌跡を描いたテレビ朝日昼のドラマ「トットちゃん!」ですが、フィナーレへ向け物語も佳境に入りました。今回は1970年代以降の話です。-----1972年。ニューヨークで武者修業中の徹子(トットちゃん,清野菜名)に日本から国際電話がかかります。電話の主はNETテレビ(テレビ朝日の旧名称)。お昼の生番組「13時ショー」(1972年~1976年)の司会の依頼でした。これを受けてトットちゃんは帰国し、打ち合わせでNETへ赴きます。そこで、NHK時代の戦友だった久松ディレクター(三宅健)と再会しました。聞くところによると久松Dは大阪赴任を経てNETに移った由。「13時ショー」は好評で、さらにNETはトットちゃんの魅力を引き出すべく新たなるトークショー「徹子の部屋」の準備に取り掛かりました。現在も続く「徹子の部屋」は1976年2月開始、最初のゲストは森繁久彌(近藤真彦)でした。トットちゃんの胸を触ったり、いきなり歌いだしたりなど、編集しない「撮って出し」のリアリティーがふんだんに盛り込まれました。ある日、「徹子の部屋」の収録を終え帰宅しようとしたとき、世界的ピアニストのカール・祐介・ケルナー(城田優)と再会します。祐介はトットちゃんに求婚をしますが、「いまの仕事に支障が出る」としてなおも躊躇していました。でも恋こがれるトットちゃんは当時珍しかったファックスを導入してお互いに連絡を取り合い、スケジュールの合間を縫ってトットちゃんはヨーロッパへ「弾丸旅行」するようになりました。時代は流れ1978年に「ザ・ベストテン」の仕事を始め、1981年に初の著書「窓ぎわのトットちゃん」を上梓して爆発的ヒットとなります。同書はヨーロッパで祐介がボランティアで子どもたちにピアノを教えている姿を見て書くのを決めたと言われます。しかし、出会いもあれば別れも。両親(松下奈緒・山本耕史)が出会い新婚生活をおくった乃木坂のアパートが取り壊され、そこに住んでいたシイナさん夫妻(小沢征悦・鳳稀かなめ)が経営していたお店ともども離れてカレーのキッチンカーで再出発。トットちゃんの父・守綱も世を去りました。そして、祐介にも異変を感じます・・・。-----ここで僕から補足です。本作では、「ザ・ベストテン」の描写がありませんでした。ご存じない若いかたのためにも、概要を説明します。「ザ・ベストテン」は1978年1月から1989年9月まで、黒柳さんの司会によりTBSテレビで放送された歌謡番組です。毎週木曜日21時から55分間の生番組。レコードの売り上げ,有線放送での演奏回数,番組宛てリクエストはがきの枚数を基にチャートを算出し、上位10曲にランクインされた曲を生放送で歌ってもらうという趣向でした。曲はすべてスタジオで歌うのが基本ですが、スタジオに出向けない場合は全国の系列局の協力を仰いでコンサート会場や営業先から中継をして歌ってもらうこともありました。徹子さんは司会者の依頼を受けたとき、「チャートの操作など嘘をつくことはしない」ことを求めたと言われます。来週はついに最終週です。どんなかたちでフィナーレを迎えるか、期待です。