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カテゴリ:雑談
みなさん、「跡見花蹊」をご存じですか
跡見女子大を作った教育者です。 花蹊は天保11年(1840)摂津(大阪)に生まれ、 父親が公家の姉小路家の家扶 (家務・会計を司る担当者)となり、 京都に移ると私塾を開校、 明治維新後、姉小路に従い東京へ。 そのときの花蹊の感想は・・・ 「現在の東京は、(戊辰戦争の)<戦後>といい、 実に令嬢ともいうべき人は、<開花>と主張し、 髪をざん切りにして、 長い書生羽織を着、鉛筆を耳に挟んで、 兵児帯などをして、実に殺風景の極みである」 花蹊は、この風体を見て、これを一変せねば、 と、東京での女子教育に目覚めたと、 自身で記した『花蹊日記』に綴っています。 兵児帯って、殺風景ですかぁ これが「江戸の女」なんじゃないんですかぁ なんか、よけいなお世話の気がするんですけど・・・ 兵児帯、ガンバレ~ 残りわずかお急ぎ下さい。 しわふわが可愛い結び方簡単 浴衣 兵児帯を特別価格で! 京都ここん~和のある暮らし~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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