テーマ:●食べた物の画像♪(86136)
カテゴリ:おいしい食べ物
昨日は節分でしたね。
皆さん、巻き寿司は食べましたか? 「恵方巻き」 いつごろから、これだけ大きなイベントになったのでしょうね? 私が中学の頃、テレビのニュースで大阪の商店街の模様が出ていて、 「あ、お母さん、節分にこんな言い伝えがあるの?」 そういって、次の年から巻き寿司を作ってもらった記憶があります。 一応は・・・ 節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって、太巻きを丸かぶり(関西方言で「丸かじり」の意)するのが習わしとされる。食べる際、恵方を向き、しかも笑いながら無言で食する必要があると考えられている場合もある。しかし恵方巻としての必須の要件は恵方を向くことのみであり、従来から恵方巻の習俗が存在した地域でも、「笑いながら」「黙ったままで」など地域によって異なる。 七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、伊達巻、うなぎ、でんぶ等七種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしい。「福を巻き込む」という説明もある。 また諺・『鬼に金棒』の金棒に見立てて、節分の豆まきで追い出した鬼が落としていった金棒を体に取り入れる事で、無病息災・商売繁盛…など、自身や自身を取り巻く環境に対し、抵抗増大や窮地打破などの意味合いがもたれたとされる。 現在の恵方巻の起源は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大阪・船場の商人による商売繁盛の祈願事として始まったといわれる。当時使われていた旧暦では、立春の前日である節分の日は大晦日にあたり、前年の災いを払うための厄落とし、年越しの行事として行われた。また豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が、偶々節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説もある。その他にも恵方巻の発祥地の候補には、和歌山(紀州)、滋賀(近江)等があるが、いずれも確かなものではない。 以後恵方巻の習慣は、昭和初期の大阪では船場の商人の間で行なわれていたようで、節分の「丸かぶりずし」の広告チラシも作成された。 戦後に一旦廃れたが、1974年に大阪市で海苔店経営者等がオイルショック後の海苔の需要拡大を狙いとして節分のイベントで海苔巻きの早食い競争をはじめたこと、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事が契機となって、復活することとなった。1960年代から復活して行われていたという説もある。 ちょっと長くてすみません・・・ By『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 と言うことみたいですね。 私の中学生の頃が丁度1980年代初頭ですから・・・その頃から認知が高まったのでしょうね。 いずれにしても、巻き寿司自体は日本の食文化ですし、特に高価でもなければ身体に悪いものでもないので、こういう風習は楽しんで続けていきたいですね。 バレンタインよりに比べると日本的だし好きだなあ~ と言うわけですが・・・ 我が家は、 1 黙ってご飯を食べることができない・・・うるさい 2 私はきゅうりが嫌い というわけで、太巻きは難しいので『手巻き寿司パーティー』にしています。 こんな感じです。 めいめい、好きなネタを自分でアレンジして、巻いて楽しみます。 子供って、こういうのが好きですね。 普段よりもたくさん食べました。 息子は、かまぼこ+マヨネーズ 娘は、サーモン+イクラ がヒットだったようです。 茶碗蒸しも奥様が作りました。 これからも大きな災いがなく、家族元気で過ごせますように。 寒くなりますので、皆さんも身体にはお気をつけ下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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