|
カテゴリ:韓国で見た映画・ドラマ・読書
今村昌平監督が昨日逝去されたそうだ。
私は高校時代から大の映画好きで、監督が創立された映画関係の専門学校に入学することを考えたこともあった。 高校時代にその刺激的なポスターで印象づけられた『楢山節考』も、韓国で観た。土着の感情と言うか、ねばねばした情念が沸き立つような映像にかたずを呑んだものだ。 『うなぎ』もしかり、一時帰国の際、萩国際映画祭で観た『にっぽん昆虫記』も社会の底辺で生き抜く人間のしたたかさや強さ、愚かさやもろさまで冷厳にえぐりだしていたと記憶する。 最近の「カンゾー先生」もこちらのビデオで楽しく観た。戦時下という狂気の時代から、暴力を狂気そのものとして差し出すだけでなく、狂気を滑稽として浮かび上がらせる手腕はさすがだと感じた。 戦争といえば、広島の被爆体験を描いた『黒い雨』もそうで、淡々とした日常に潜む狂気と、不条理への怒りを感じとれたはずだった。 『赤い橋の下のぬるい水』もそうだが、今村ワールドともいえる独自の作品世界を遺して逝かれた。 以下は、『朝鮮日報』日本語サイトより転載 *************************** 日本映画の巨匠・今村昌平監督死去 『楢山節考』(1983)や『うなぎ』(1997)でカンヌ映画祭最高賞を二回受賞した日本映画の巨匠・今村昌平氏(80)が30日午後、東京の病院で肝臓がんのため亡くなった。 大島渚(『愛のコリーダ』)とともに1960年代の日本映画ニュー ウェーブの旗手と呼ばれた今村氏は、逝去直前まで現役監督として活動した日本映画の大黒柱的な存在だった。59回を数えるカンヌ映画祭の歴史で二度にわたり最高賞を受賞した監督は4人に過ぎない。それほど異例の栄誉だが、今村氏は二度とも授賞式に出席しなかった。「次の映画が作れることになったのでうれしいが、その他には何も変わらない」というほど映画に専念した人生だった。 医師の息子として生まれ、早稲田大学を卒業後、小津安二郎の助監督として順調に映画界への第一歩を踏み出したが、社会の底辺にいる人々の暮らしを、原色的でエネルギッシュに描くリアリズムで有名だった。『盗まれた欲情』(1958)でデビュー、『にっぽん昆虫記』(1963)『復讐するは我にあり』(1979)など20本あまりの作品を世に送り出した。今村氏が描いた人物は娼婦・巫女・ポルノ映画制作者・旅役者などの下層民。彼らの日常を通して日本人特有の信仰・生活感情・欲望・衝動などを解き明かすことに全力を傾けた。 今村氏は生前、「大島がサムライなら私は田舎の百姓」と自らを評したことがある。他国には「冷たい現実主義者」と見られていた日本人をより情熱的でエネルギーあふれる民族として知らしめたのも、同氏の映画だ。 古希を越えても『カンゾー先生』(1998)『赤い橋の下のぬるい水』(2001)などの長編を監督、4年前に米国の9・11テロをテーマに世界の映画監督がコラボレーションしたオムニバス映画『11\'09“01 - September 11』(2002)が遺作になった。1998年と2001年に釜山映画祭の招きで訪韓し、南浦洞広場に自身の手形を残した。チャン・ドンゴンと仲村トオルが主演した映画『ロスト・メモリーズ』(2001)では歴史学者役で特別出演したこともある。 朝鮮日報 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|