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カテゴリ:韓国で見た映画・ドラマ・読書
韓国には、旧日本軍の従軍慰安婦にされた方々が暮らす「ナヌムの家」というところがある。
私の住む京畿道という地域にあるのだが、まだ一度も訪ねたことがない。 「ナヌムの家」日本語版:http://www.nanum.org/jap/index.html 今度の冬休みこそ伺ってみよう・・・ 従軍慰安婦の体験者の方はそこだけにいらっしゃるわけではないようだ。 以下は、『中央日報』日本語版サイト(11月28日)より転載。 ******************** (ピープル)元慰安婦ファンさん、4000万ウォンを奨学金に寄託 150センチにもならない小さな体のファン・クムジャさん(82)は言葉少なに語った。 ただ「生活が厳しい子どもの助けになればよい」という話を繰り返すだけだった。 日本軍の元慰安婦ファンさんが自分に支給される軍慰安婦生活安全支援金などを貯めて作った4000万ウォン(約450万円)を、28日、恵まれない児童の奨学金に寄託した。 ファンさんはこの13年間、保証金が206万ウォンというソウル江西区(カンソグ)の賃貸マンション(11坪)で暮らしている。 ファンさんの収入は毎月74万ウォンずつ支給される軍慰安婦生活安全支援金と国民基礎受給対象者生計費36万ウォンの計110万ウォン。 ファンさんはこのうちマンション管理費4万ウォン余と各種公課金、食費など最小限の生活費30万ウォン余を除いた残り70万ウォン余を毎月貯蓄してきた。 節約しながら5年以上集めたお金を社会に寄付したのだ。 ファンさんは「私は国から大きな恩恵を受けたこともなく、不幸に暮らしてきたが、若い人たちには幸せになってほしい」とし、「それで集めたお金を社会に出すことにした」と語った。 1924年に咸境道(ハムギョンド)で生まれたファンさんは17歳の時、日本軍に連行され、興南(フンナム)のガラス工場で働き、20歳の時に間島(カンド)に連れて行かれて慰安婦になった。 戸籍上では夫が死亡したことになっているが、辛い経験による後遺症のため思い出せないという。 ファンさんはマンション近隣の高校で生徒が騒ぐ声を日本軍の叫び声と錯覚し、学校や町役場に行って抗議するほど、精神的に不安定な状態だ。 申遵奉(シン・ジュンボン)記者 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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