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カテゴリ:教育
10年以上前の日記(確か世田谷から板橋に引越したときにいただいた贈物)を本棚のうちに見つけ、めくると、1995年9月の日記に、新聞のコラムに引用されていた北原白秋のことばを写していた。
「そうです。ほんの紙一重です。しかし、この紙一重のために、この三十幾年という長い年月を私は苦労して来たのだ」 「突拍子もない大々飛躍などといふことはめったにできるものではない。一代の名作、或は傑作を突如として公にし、世を驚かそうとする間は根本から修行の道が誤っている。しゅぎょうというものは、石なら石を1つずつ積み上げていくようなもので、根気よく、こつこつと仕事の力と量とを積み上げていかなければならない。何事も修練と時間の堆積とから光り輝く喜びが来る。どれだけ天賦の才に恵まれていても、この平生の努力を怠る向きは、ついには何の業をも大成し得ないであろう」(旧仮名遣いは適宜修正) あの時も、早く論文を書こうと焦っていたのだろう。仕事に追われてぶっつけ仕事ばかりしていて何も残らないな。焦らずに魂のこもった仕事をしていかないと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.12.01 21:47:52
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