夏休みに入って、昨年から話題の『1Q84』1、2巻を読了。
大学の図書館にあったので、借りて読んだ。
天吾と青豆の物語、小学時代の一瞬の出来事(青豆が天吾の手を強く握る)が二人の一生を方向づける。
天吾は村上春樹の作品によく出る凹型(受け身型)の主人公。
存在感を増すディテールとしての風俗(文学作品、音楽、ファッション・建築、映画・・・)
政治的な時代の終焉としてあらわれた80年代、脱イデオロギーと精神の空白、そして、宗教的なるものの復活。
午後に、光化門の映画館「スポンジハウス」で妻と『シングルマン』という映画を観ることに。
同性愛の映画で、洗練されていて、人間的だった。
カリスマ・デザイナーの初監督作とかで、日本では10月に公開されるよう。
美しい記憶はその人にとって、時には耐え難いほど精神を苛むものかもしれない。『1Q84』の天吾と青豆の一瞬の記憶もそうだったと言えるか。記憶を司る愛の純度が高ければ高いほど、鋭利な刃物のようにその人を内側から傷つけずにはおかない。
漱石の『硝子戸の中』に出てくる恋の記憶に身を焦がす女性のエピソードを思い出す。
私にもそこまでの恋の体験があっただろうか。
それにしても、記憶がぐつぐつと熱された状態で、遠い未来まで運んでいくことは至難の業だ。
映画館を出て、書店(ヨンプン文庫)に妻の韓国語の教材を買いに行く。
『1Q84』の3巻があったので、少し立ち読み。
書店の地下の商店街で、パスポートケースとナップサックを購入。
鐘路三街で、安東蒸し鶏(甘辛いしょうゆ味でおいしい!)を食べ、オリエンタルな雰囲気のカフェで、マンゴー茶とミント茶を楽しんだ。