テーマ:心と家族と人間関係(1213)
カテゴリ:family
どれも、祖母宛に届いた物なのだけれど 都から届いたのは、A4版サイズの簡易表彰状 これと一緒には、いくつかの中から選べたそうで、 母が選んだのは、クリスタルガラスのずっしりした花瓶 (現物見たけど、撮影難しいからやめておいた) 国からの表彰状(当然A4版の倍はあるけど、画像サイズ小さくしちゃった) コチラは丸まって筒に入って届いた正式タイプで、父が額を購入して飾った後 そして、記念品は・・・ 桐の箱に入れられてる・・・ 噂の(?)銀杯 たまたまネットで見かけたけど、来年からはメッキのになるそうな 袋から取り出して撮影したのはナイショ なんて言うか、どこからどう書いたらいいのやら分からず、ずーっと書くのをためらってた、祖母のこと。 つまり、実家には、両親と、祖母も暮らしているんです 介護のメインとなる日々のことをしてるのは両親で、私はと言えば・・・。 介護のお手伝いを、ほんの触り程度してるくらいで、かつ・・・、 離れてた期間が余りにも長かったのに加え、元々昔から距離感があったから、そこら辺の気持ち的に複雑かつ微妙な部分が大きくて。 でも、とにもかくにも、100年と言えば1世紀 それは確かに凄いと思うから、記念に書いておくことに ちなみに祖母は、自分の足で歩けることは歩けるけれど、 緑内障でものすごく視野が狭く、歩くのに足元も見えず危ないから、手を引いての誘導が必要。 耳もかなり遠いから、すぐ近くで大声でゆっくり、何度も話しかけないと通じない。 言ったそばから忘れちゃうから、1日に何回も同じことを繰り返し話す根気が必要。 伝わればその時は、ちゃんと理解はするワケで。(でもすぐ、忘れちゃう) これらの根気が要ることを、笑顔混じりで毎日続けてる両親は、凄いと思う。よくむなしくならないなぁと感心するばかり・・・ 私はどうしても・・・『祖母が動くの待ち』(スタンバイ)状態が長過ぎるとイラッときちゃったり、《どうせ根気強く話しても、すぐ忘れちゃうんだしいいや・・・》とすぐに諦めモードに入るようになってきた。 半年前、私が実家に来てしばらくの頃に、 階段の下2~3段目から足を滑らせてしまって救急車で運ばれると言う事件(事故)があり。 (幸い、腕と足の打撲程度で済んだんだけれど) それ以降、それまで2階を拠点としてた祖母の生活範囲は、 1階の台所隣の部屋になり、母が隣に布団を敷いて寝るようになり、 その後レンタルベッドを借りてそこで寝るようになってからもそれは変わらず。 事故後しばらくは、トイレまで(そこそこ長い廊下を)手を引いて連れて行って、ドアは開けっ放しにしてパンツを下してあげて待ってて、またベッドまで連れ戻すのがひと仕事で、夜中の母の負担はかなりのもの(日中は父と私も手伝えたけど)だった。 その後、ベッドの隣に椅子タイプの簡易トイレを置くようになり、 腕の打撲がすっかり治ってからは、祖母が自分でパンツの上げ下ろしは出来るようにはなったものの、誘導は必要(トイレと反対側に降りちゃったりすることが多々あり)で。 母が夜、布団を敷いて寝てるのは、相変わらず祖母のベッドすぐ近くの、実家メイン(食事)部屋(通称こたつの部屋)だって言う、ある種特殊な状態。 なんかまとまりなく長たらしくなっちゃいそうなんで、事情の説明はこの程度に・・・ でももうひとつだけ。祖母は、私が一つ屋根の下で暮らしてることを、認識出来ていないままなのです・・・ つまり私はずーっと、『時々来てるらしい』存在。 何回も根気強く説明した(つい最近ではバツのことまで( ;∀;)←コレには参った)んだけれど・・・接する頻度も低いし、忘れられてしまうのでした・・・ ↓ランキング参加中 (気が向いたらポチッとお願いします☆) ←カテゴリー『O型日記』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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