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一昨日の日記、別のところで同じことを書いたところ、「頑張りすぎる日本人」に対するリアクションが多いのには驚いた。
日記の意図は「頑張る日本人ていいじゃない」、というメッセージだったのだが、反応は意外に「何で日本人てこんなに頑張るんだろう」系が多く、びっくり。 確かに、英国人はどんなときでもユーモアを忘れず、リラックスして楽しもうよ、というスタンス。頑張りすぎるのはかっこ悪い、とどこかで思ってるんじゃないか。精神的なゆとりを感じる。 そこいくと日本人は、いつもマジだ。国際舞台で見る日本人は、頑張りすぎて緊張して硬くなって本領を発揮できずに終わる、みたいな頑張りが裏目に出ている場合も多かったりする。 そういう姿が特に顕著に見られるのが、スポーツの世界だろう。 そもそも、スポーツの多くはイギリスが発祥の地だ。 テニス、ゴルフ、ラグビー、クリケット、ポロ、サッカー・・・ 現在、世界じゅうで行われているメジャーなスポーツのほとんどは、イギリスのものなのだ。 そして、サッカー以外は、ほとんどが上流階級の遊びから始まったもの。 彼らは「アマチュアリズム」とか「スポーツマンシップ」を大切にし、勝敗にこだわりすぎることを恥と感じ、品性に劣る行為と感じるようだ。 もっとも現代のスポーツ界からは、そのようなアマチュアリズムはほぼ消えつつあり(そりゃあそうだ、普通はイギリスの上流階級のようなわけにはいかない)、事情は全然違ってきてしまっているが、いまでも英国では「あまり頑張りすぎない」ということに対する「伝統」のようなものは残っているんじゃないか、と随所に感じるのだ。 つまり、日本人とは逆の伝統である。 子供たちの学校でのイベントでも運動会のような「スポーツデー」もあるし、いろいろな競技会もある。 でもどれもこれも、すごくいい加減なノリだ。 学校のスポーツデーは、いろいろな競技を同時にやり、グループごと各競技を順ぐりにまわっていく。親は来ないし、みな同時に何かの競技を行っているので、観客となるヒトはいない。競い合って、楽しんで、一応勝敗も決めるのだが、あんまりどうでもいい感じだ。つまり、自分達が何かをして楽しむことが目的であって、他のヒトのやっているのを応援したり勝利にこだわったりという発想はない。 娘が出場した市の陸上競技会も、一応学校代表で競うちゃんとした大会なのだが、なんと練習したのは当日朝だけ。その場では勿論、全力で頑張るんだが。 娘は背が高かったのでハイジャンプの選手に選ばれたのだが、後にも先にもハイジャンプなんてやったのはそれが初めて。しかし当日朝の練習だけで、いきなり本番であった。 ハイスクールのクリスマスコンサートも同じ。娘が所属していたブラスバンド、たった一回あわせただけで(もっとも他の子たちは多少やっていたようだが)、いきなり大きなホール(しかも満員)で、本番だった。 でも参加者も観衆も、みんなで楽しんで盛り上がる、とっても素敵なコンサートだったので、私はほんとうに驚いた。子供のうちから表現することがとても上手。とても自然で硬くならない。指揮者のユーモアを交えたトーク。観衆のマナーのよさ。どれをとっても日本にはないなあ、と感心した。 娘は日本でもブラスバンドのコンクールとかに出たりしていたが、あの厳しい練習とがちがちの本番は、いったい何だったのかなあ、と思わせられた。 でもそんな「頑張らない」イギリスでも、ひとつだけ、誰もが熱くなり、頑張るスポーツがある。それはサッカーである。 サッカーに関しては、誰もが譲らない。負けたら滅茶苦茶いわれるし、ファンは暴れるし、まあその盛り上がりはすごい。(皆さん知っての通り) なるほど、サッカーだけは庶民のスポーツとして発達したものだからね・・・(と、妙にナットク) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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