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ベクシルかエクシブか分からんけど宣伝見ただけで、わたしの頭の中で「うんこ」決定した。
何時もの如く芸人キャストと、なーんの代わり映えしないような世界観とストーリーとお決まりの「命大切」じゃあ、チープなのは目に見えている。後は環境問題だって。 馬鹿らしい。そんなもん憂いているのならさっさと文明捨てて仙人にでもなれ。 詭弁でしかない。 80年代から言われているのに、一向に解決しないのは、やる気がないからである。 企業は規制が掛る前の在庫処分として捌くだけで、個人ではクリーンな生活する気ないのは、自分以外の誰かがやってくれるだろうと他力本願だからだ。 公開時にゃ桜使わせて誉め千切るのだろうけど、如何でか未だ手塚治虫に辿り着けなんだ。 手塚ですら、アニメ会社潰したりとかなりスランプ続きで、他の作家達にもやっかみや嫉妬ばかりだった。 そんな手塚に未だ追い着けないでいる作品…。 手塚治虫が凄いからじゃなく、みんなタブーに踏み込めなかったり、世の中に媚びているからだ。 手塚はその先を行っている。 これが判らない者は手塚を徒に敬う資格などない。 命大切なのはよく分かる。 自殺者は3万人キープしているし、イジメや暴力は未だ止まない。 本音はPTAとか文科省とかインテリとかお上(政界財界官界)が煩いからだろうが。 しかし、そんなもので誰が自信つけるというのだ? 映画で糞みたいな幻想を突き付けられていようとも、現実が今彼のそばに横たわっているだけだ。 これから死に逝く者にとって何の意味があるのだ? 彼等は最期こそ独りである。 誰も居ない。 決まってチープ映画はペアレンツばかりターゲットにして、そこで始めっから篩に掛けてどうする? 酷評の一つに観る側の立場が関わっているのに、どうしてそれに気付かんのだ? ああそうですか、彼等は無視ですか、勘定に入れとらんのですかい? 『俺は、誰の為にこそ、死にに逝く?』 君がいないからこそ、死にに行くのだ。 この世に未練などない。 どうせ必要としないんだし、代わりなんて他にもいる。 どこがかけがえのない命、かけがえのない地球、なんだ? だったら、なんで人間は死ぬんだ? 死ぬことは避けられない。 本当にかけがえのないものなのか? 例えば、親無し友無し愛しき者無し、それだけでなく寧ろあらゆる者に嫌われ、煙たがられている者が死んだら誰がその死を悼むのだ? ホームレスを襲撃する糞餓鬼の心理に共感出来ないとするならば、自身に嫌いな人間は居ないのか? そうやって集積していくのが、嫌われ者なのだ。 誰か、嫌われ者を主人公として最後は自殺していく作品発表してくれないか? 落ちこぼれていく、過程もいいけどなあ。 どいつもこいつもサクセスストーリーばかりで詰まらん。 しかし、アニメだけでなく、邦画もアマゾンの如く森林砂漠のような状況が続くんだろうな…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.08.19 02:17:17
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