|
カテゴリ:カテゴリ未分類
先日テレビでJICAで契約社員として働く中国人のことをやっていた。
家は超が付く位貧しくて弟はマトモな教育が受けられずに兄がくれた背広きて畑仕事するのがなんとも言えないなあ。 しかし、実家は見る限り、チャイナ服ではなく、もっと別の民族衣裳を身に纏っているようだった。 話が逸れているわけではない。 喋る言葉も北京語っぽくないな。 どういうことかと言うと、豊かになるためには、血の滲むようなたゆまぬ努めをせねばならぬことだろう。 先ず、一流の高等教育を受けるためにはそれに敵う言語を習得しなくてはならないということ。 学校で話されている言葉はどうせマンダリンだろう。 マンダリンとは北京官話のことであり、元々は滿大人(マンダーレン)、即ち清の役人言語である。 滿洲人(旗人)の訛り漢語がそのまま北京語となった。 それが公式の言葉になったもんだからそれを先ず勉強しなきゃならない。 こういう壁が横たわるのである。 余談だが、中国人に対する侮蔑語であったチャンコロ(チンコロ)と言うのは、これも元々は滿洲国で滿洲人が漢人(支那人)を侮蔑の意味を込めて使っていた「清国奴(チングオヌ)」から来ているそうだ。 引き揚げ者が餃子を持ち帰った謂われのと似ているな。 中国人(チュングオレン)から来ているとも言われるが、そもそも、自ら中国人と名乗るようになったのは最近である。 何故か、それは国民が居なかったからである。 中国(中華)=一般的な呼称である所の国 ではないのだ。 それはまた別の機会に。 話を戻すと、そういう国では格差が著しいから門戸は狭い。 より勉強せねばならない。 高等教育が特定の語学に占領されている状況では更にそれを習得せねばならない。 格差とはこの事なのである。 英語を学ぶか、日本語かどちらかである。 偶々我が国では喋る言葉は日本語であり、方言差はあれど、揺らぎも大した事はない。 よって国民の悉くが学べる機会がある。 しかし中国は違う。 開発や発展は沿岸部のみで奥地は手付かずである。 言葉はバラバラのままであるから格差は縮まらない。 格差を付けられているから、教育も行き届かない。 こうやって知識も智慧も付けられぬまま、貧しさから抜け出せない。 さてどうしたものか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.08.22 03:58:52
コメント(0) | コメントを書く |