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カテゴリ:独断と偏見な時評
柔道も相撲もサッカーもサイクリングも水泳もアメフトもテニスもバスケもマラソンも陸上も筋肉番付も全て『野球』である。
何故野球なのか、それは野球でしかないからである。 もう殆んど言うまでもないのだが、現代日本人にとっては野球が全てなのである。 テレビも商売も教育言語も、道徳も全部野球で片付けられてしまう。 アメリカの日本人洗脳教育は成功しているのである。 日本の伝統を悉く潰しにかかったアメリカは自分達の最も分かり易い言語に摩り替えさせた。 野球に日本の歪な伝統を見い出せるのは皮肉だ。竹刀がバットになっただけである。 武道の鍛練は全て野球の修行である。 タイヤ曳き、兎跳び、素振り千本ノック…野球の言語が他のスポーツにも通用している。 現日本代表星野仙一が野球が日本の国技とまで言い放つのも無理はない。 精神を鍛え上げることこそ道が開かれるのも、よく聞いた言葉だ。 それで練習中によく死者が出たりもした。 今思えば無茶も甚だしい。 今でこそ、体にかなった管理がなされるようになった。グラウンドの側にAEDだっけか、救命装置が付けられる様になったのは良いことだが、今迄死なせたりボロクズにさせて来た監督やコーチや同輩先輩後輩らの責任はないのか? こういう進歩についていけない人達って今でもいるのか? もういないと、思う。 野球に果てる覚悟のある奴もいなくなったと思うが、生まれた時から野球人間に改造させておいて、引退したとなると残りの人生をどう過ごさせるつもりだ? 実は何も考えてない。 人口は多いくせに、登竜門は狭すぎだ。 実際にやる奴自体も少なかろうが潜在的なファンが居過ぎて困る。 煽るだけ煽って飽きも早い。 話がずれたか? 兎に角、言語は野球に支配されている。 折角スポーツもいいチョイスだったりするのに、いざ扱う奴がそれに対して無知だと野球言語のパッチワークで済ましてしまうのが非常に残念でならない。 少年誌に連載されているスポーツ漫画はちょっとしたおニューなものを選んでいるようだが、その料理をする人(漫画家じゃなく、編集者)が野球という名のカレーライスばっかり作るというか、カレーの作り方しか知らないから、どんな料理もカレーになってしまう。 これは漫画に限ったことじゃなく、これまで口を酸っぱくして言って来たことで、あらゆるメディアは野球が全て基本になっているのである。 悲しいかな、野球でしか語られない日本って、何? こんなんで日本社会を動かしているんだよと、これじゃあ手の内見透かされてるのと同じじゃん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.12 23:35:08
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