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カテゴリ:独断と偏見な時評
金が絡むと腐るんだということの証だな。
勢古浩爾の自称プロに碌な奴はいないとかいう言葉が頭を余切る。 強面の北の湖(理事長)の狼狽え振りがやはり印象的だ。 しかし、北の湖はそこまで責任を背負う義理なんてあるのか? なんで親方を指導するっていう風になるんだ? 協会なんだから横の繋がりで対等であることが基本じゃないのか? 素人目から見ても、事情なんて知らんから余り深入りは出来ないが、親方の資質も器量も何処にもないんだなと思える。 高砂親方の時もそうである。 扱きリンチ殺しは日本の悪しき伝統と見る向きもあるが、逆である。 伝統や権威を逆手に取って威張り散らしているだけである。 あやふやでひ弱な個を支えるためのつっかえ棒こそが既に滅び去った「伝統」なのだ。 伝統を振りかざす奴に限って伝統に従わないものだ。 誰も言い訳ばかりで「責任」なんか取る奴誰一人としていない。 問い詰られて漸く退くだけである。 武士の末裔ならば潔く腹を掻っ裁いて己れの心根が真っ白であることを見せてみいや。 腹を切ることは責任を取ることではない、腹に染みがないことを証すためである。 伝統も最早相対化されてしまっている。 これは戦後民主主義も更に経った後で、ゴシップよろしくスキャンダル合戦で権威が失墜したからであろうか? 或いは過去を証言する者が殆んどいなくなったからだろう。 即ち、職業選択の自由ということもあって、逃げ口上がいつでも用意できる可能性が各々の個人にも見い出せるようになったからではないか。 それでも、伝統に鎚るのは、自信がないからである。 都合のよい抓み食いをみーんなやってしまう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.12 23:27:54
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