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カテゴリ:サブカル我流評論
京アニ版CLANNADが放映されているから、この際序でにKanonを一気に借りて観ることにしよう。
以前東映版の方を借りて観たけど、その間僅か4年しか経ってないのにリバイバル。 東の東映、西の京アニの如く対決でもしたいのだろうか? まだ京アニ版の方は少ししか観てないが、主人公の相澤祐一の性格が随分変わっているなあ。 ゲームの主人公は性格はニュートラルで没個性だからイマイチ掴み所はない。 東映版は『まもって守護月天』のスタッフが手掛けていて、キャラや声優さんも引き継がれているような感じだった。 京アニ版は声優以外を悉く東映のを無かったことにして、作り直している感じだ。 ここで良く目も耳も凝らしてみないと陥穽に嵌る。このアニメが原作準拠と言うよりも、寧ろ骨組みがアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』だと感じ取れてしまう。 悪く言うと、作りがぞんざいである。 画以外はラクな作り方してるなあ。 相澤祐一が殆んど限りなくキョンだ。 ここでは男キャラが本当に空気なんだな。香織の鞄持ちしている男もモブキャラに転落している…。 東西のCLANNADでも、春原陽平の描き方に開きがあるし。 東映版CLANNADでは生き生きしていて、京アニ版じゃあハマーやウミハルやマチャ彦みたいないたぶられキャラになっている…。 主人公の幼児性というか、キャラ比較をしてみると…、 国崎往人<相澤祐一<キョン<岡崎朋也となろうか。 そもそも往人は学生じゃないし既に大人だから幼児性如何問うても無意味。 キョンと祐一はほぼ一緒だから幼いヒロインの相手をせんがために大人びらせるような向きだ。 で、朋也の場合は同じく幼稚なヒロインの子守りしているから、あまりそうした性格を覗くことが難しいが、渚に支えられていて至らぬ箇所を補われているようだ。 往人と祐一は足らぬヒロインのサポーターとして、完成されているのだがCLANNADは趣きが違う、筈である。 尤もこのアニメの原作は18禁だから予め主人公が大人設定で、ヒロイン達を一人前にしていくように思える。 家族をテーマとしていて、ユーザーの求めるヒロインが母の役割を担っているのだが、翻って自身が父となってヒロインの世話をするというのも垣間見られる。 決して二人が必ずしも対等じゃないんだよな。 まだまだ途中のCLANNADだけど、主人公が成長する話だから、ギャルゲー基準にしちゃうと作品自体がオジャンになる可能性が高くなってしまう。 主人公は解決屋じゃないんだし。 それでもこのゲームは主人公ほったらかしにさせることがあるが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.17 02:56:01
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