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アフィリエイトにスクールデイズを足しました。
話題作なので、カテゴリを作りました。 アニメは終わってもDVDはリリース中で、ゲームも来年の一月には出る。 いやあ、この主人公伊藤誠ってばエロゲーにありがちな鬼畜生そのものですなあ。 アニメを現在借りて見ているが、キャラ設定が最早初っ端から溢れ出ていてどんな結末が待ち受けているかもう判り切ったものである。 尤も、鬼畜生には不幸な結末があるのは当然と言われれば当然なのである。 ゲームにはそういうhappyendとbadendがついているのである。 みんな通常のhappyendには興味ない。 他人の不幸は蜜の味と言われるが、悲劇を得てして好まれる傾向にある。 そりゃそうだ、ギリシャ神話の悲劇なんかずっとそれだ。 兎も角、本当の主人公はこの誠などではなく、言葉なのでは?と思われる。 主人公なのに憎まれる奴って…。 これで誰も誠を憎く思わないのは誰一人として居ない…筈だが… 基本的に誠の人物像は極平均的な彼女も碌に居なくて急に告白されて妄想全開に奔るヘタレのムッツリスケベ男子を体現してるに過ぎない。 翻って言葉の方は独りで俯いていることが多いことから、引っ込み思案の独り法師の根暗で、周りから苛められるような人物像に見える。 アニメキャラ(元はゲームキャラだが)だとて侮る勿れ。 ここまでリアリティのあるキャラなんて居ないぞ!? 二人ともすれ違っているのは、互いの一方的な妄想と、そこにある現実を受け入れようとしても頑なに拒み続ける姿勢を崩さないからなのである。 だから、軽々しくも「誠死ね」と思っても、言ってはいけん。 言葉に同情を寄せた振りしても、現実にこういうのが居たら必ず皆は「体制側」に擦り寄るに決まっている。 苛める側に回るよ。 言葉が前の席に座り、違うクラスだが誠と世界が後ろの席に座っている理由が判るだろう。 判るな? これこそ激しくネタバレなのだが、関係性が学校だけしかないのだ、言葉にとって。 だから別に優等生である必要もないのに前に座るのは先生=学校にしか心を寄らせる手立てがないからだ。 世界や誠が後ろの席にいるのは、直接的な学校との関係よりも二人の仲の方が重要だからである。 筆談を見れば明らか。 学校もさることながら、世間との仲間との関係が大事ということの表れ。 それではそうした世間の子供達が急に関係性を切られたらば、この息苦しい世界なんぞ堪えられない筈だ。 引き籠るかこの世に未練を残さないかとなる。 しかし、言葉はそこにいる。 そりゃ、元から独りだと窺える。 同じ中学の同級生が、ああいう娘と評し、少しシメてやろうかというのが出てくる辺り、そうなのだろう。 ただ、妹の心だけには気丈を張り、声の質をも変わらせている。 典型的な内弁慶だ。 なんかよくもまあ描けているよなあ。 周りに言葉みたいな娘は誰しも知る限り側に居た筈だ。 筈ではない、「居た」のだ。 誰も助けられなかったし、気付きもしない。 寧ろ穢れを被りたくないから避けていただろうに。 そういう子らは早々と引退してしまう。 だから気付かないのだ。 一言で可哀想とは言えない筈だろう…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.04 03:57:43
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