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高次脳機能障害の人が母となり、その子供が保育園に入るまでの軌跡を追っていた。
何か身につまされる思いがしたね。 障害も本当は障碍(障礙)と書く。 戦後の国語改悪で簡略化されたが、簡略化された方が意味が悪くなってしまう。 人に害するのではなく、英訳のバリアーと同じで、過去に使っていた碍(礙)の方が隔たりや壁とかの意味合いが強い。 無碍に断るの碍と同じ。 なるべく元の意味を使うことにする。 保育園の保育も元は哺育である。 哺乳類の哺である。 乳を吸うから哺育なのである。 話は逸れたが、こういう障碍に陥った人達はかなりいるという。 TVで取り上げられた人は交通事故の後遺症で、直前の記憶、出来事の記憶が難しいというのである。 事件や情報、洗濯機などの操作方法は覚えていられるそうなのだが、勿論反復や繰り返し、連日の特集記事で体に脳裡に焼き付けられるということもある。 辛いこと、悲しいこと、嫌なときの記憶はあるそうだが、その時の良かった日や幸せであった日は記憶が出来ないそうだ。 しかし、これって普通の人でも一緒だよなあ。 子供の育て方で思いあぐねていたり、悩んだり、苦しんだり。 嫌なことはいつまでも覚えているのも、どの人も同じ。 人って辛いことを二度と繰り返すまいとしてそのことを憶え、次の教訓に生かそうとするように、出来ているんだなあと思える。 そのお母さんの母(祖母)が、子供を保育園に預けようとするのだが、肝腎の母が中々渋るようだ。 可愛いからだけでなく、子供が母の記憶から消えてしまわないかという虞があって躊躇う。 ただ、そこは姉や祖母の計らいで子供がよちよちあんよを始めてちゃんとお母さんの元へ戻って来るというものであった。 お母さんは安心して我が子を保育園へ預けることに決めた。 まあ、翻意は子育てに大変だろうから、社会にも育てて貰おうということなんだろうけど、真意は判らない。 ここまで、プロットが出来上がっているような気がするが、結果的に「良かった」んじゃないのかなと思う。 本人も事故がなければと言うが、しかしあの事故がなければ結婚して子供も授かることも無かったとも言っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.12 01:57:10
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