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新暦で祝ってもどうしようもないんだけどね。 日本人なら、旧暦で新年を祝う方が良い。 時刻が午前零時になった途端に「明けましておめでとう」と言うのも変である。 明けましてと言うのは、日が昇ってからの事で、極めて現代文明的な主観の約束事が結集したようなものである。 別に旧暦でもいいのだ。 エチオピア(アビシニア)ではエチオピア正教(コプト教)が国教だった事もあり、コプト暦を西暦(グレゴリオ暦)の側に採用している。 コプト教てのは、キリスト教の事で、本当に原始キリスト教を伝えている。 即ち、オーソドキシーと言われ、正統性のあるキリストの教えと言われる。 2007年の9月11日は、エチオピアでは2000年の1月1日であった。 キリストの誕生日は未だに分かっていない。 尤もキリストの生誕はミトラ教の冬至からパクったものである。 ミトラ教はミトラスとかミスラとか呼ばれて、遥か東方ではマイトレーヤと呼び直されたものだ。 マイトレーヤとは即ち弥勒菩薩。 キリスト教は弥勒菩薩の影響を多く受けている。 弥勒菩薩は56億年後に一切の衆生を救う為に地上に降臨するのだ。 そしてキリストも同じ。 裁きの時に復活して救うのである。 さて、何の話だっけ? 日本人にはキリシタンの行事が似合わないんだから止めろ。 って言いたい。 太陽暦(グレゴリオ暦)を採用している事は、西暦を受け入れる事でもある。 元号法を制定、施行しても結局、グレゴリオ暦が下敷になっているのだから虚しいことこの上ない。 これは現代の住宅事情に似ている。 ツーバイフォーの住宅なのに、無理してユニット畳で床に敷き詰めて和風にする意地っ張りと同じだ。 伝統は何処へ? 大黒柱の消えた家は全てが切り貼り出来る個人のスペースと成り下がる。 因みに、エチオピア帝国の国旗である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.03 06:12:05
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