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もう日比谷の派遣村は撤収されて都内の施設に移ったのだそうな。
年末にかけて凡そ500人程度集まっていたのだが、撤収期限迄には2~300人程度になっていた。 大体百人余りの人間の再就職先が決まっていたのに対して、まだ残っていたのだ。 当派遣村に集った求人が何十、何百と言う倍率ではない。 凡そ五百人に対して四千件の求人件数なのだ。 代々木アニメーション学院のように、800%だ。 昔の諺に『残りものには福がある』とあるが、どうしたものか。 殆んどが寮を追われて住む所が無くなった者達と言われるが、その為に就職出来ないと言う困った事が起きているのだ。 中には住み込みで働ける所もあるらしい。 それでも効果はほぼ無い。 残った連中とは、仕事がきついとか、給料が安いとか、環境が厭だとか、掃除が面倒臭いとか、不平不満ばかり言っているらしいのだ。 こいつらは何様なのだろう…? カンパ金や公共機関の蓄財を食い潰すだけ食い潰してクレクレとねだるのか? もう仕事なんか選んでいられない筈なのに、何処迄お上に甘える積もりなのか。 今の自分達が置かれている状況を理解出来ているのか? 余程の世間知らずじゃないのか? 雇用のミスマッチ等と言葉を置き換えるでない。 だだこねと言う素晴らしい日本語があるではないか。 日比谷派遣村に使われた千代田区の出費は2700万円に上るのだそうな。 成果は…500人いて100人程度のもの…。 多目に見ても4分の1の成果にしかならない。 全員が全員派遣切りに遭った人達ではないらしい。 元々働く意欲の無い人も集まっていた様だ。 こんな状況じゃあ企業も切って正解だったとしか言えない。 残った連中の所為で意欲のある人間の足を引っ張ってしまっているのだ。 以前、働く事と結婚は似ていると書いた。 何処かで妥協しないと目の前の幸福は掴めない。 今の彼等はありもしない理想にしがみついてもがいているだけだ。 『理想を抱いて溺死しろ』 そんな言葉がよぎる。 それでまた各施設に移動しても職探しなんかする気もなく、移動を繰り返す度にたかり、食い尽すんだろう。 誰か最後の一人として残らないかな? それはそれで面白い。 自己責任と押し付けられた社会に於いても、国は踟蛛の糸を垂らすが如くパターナリズムを発揮する。 まだまだ信じられる社会なんだ。 国だけでなく、周りの人達も支えてくれるのに、自らその糸を切ってしまっている様だ。 これから三月四月と失業者が増えるであろう。 またその時には派遣村が出来るだろう。 さて政治は何が出来るであろうか。 まだ殆んど何もしていない内から支持率が20%切ってしまっている…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.15 08:14:41
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