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展開は早く、もう電車の中だ。
寡夫(孀)であるからこそ精神が不安定で、電車の中でも走り抜ける男の子や叱れない母親を怒鳴りつける事があった。 子供への接し方が分からず、汐の不規則な行動に苛立ちを覚えてしまう。 それでも、汐は立派に育っている。 うるさくしない、我が儘は食べ物と玩具位だ。 余程の事、古河夫妻に育てられて来たのだろう。 前期CLANNADのオープニングで汐が駆けた菜の花畑の場面に出会える。 しかし当てが外れた。 夏の日である。 朋也は半袖だ。 だからあの場面は日向葵の畑である。 山に囲まれた感じだが、ここは嘗て幼き日の朋也と父である直幸が母敦子を亡くしてから訪れた所である。 渚を喪って意気消沈していた朋也に再び明るさを取り戻す為に、直幸の母、つまり朋也の祖母、汐の曾祖母である史乃が提案した事。 朋也は、直幸が若くして生まれたそうなのだと。 あんな疲れ切ったオヤジが恐らく十代の儘朋也を育てる事になったのだろう。 朋也の母、敦子も同じ位と考えれば学生結婚にしても、高校退学して迄がむしゃらに働いたて事は、このアニメ(ゲームだけど)って本当は反ギャルゲーなんじゃないかと思えてしまう。 ギャルゲーは学園(大人の事情で学園)を舞台としており、ヒロインと結ばれてハッピーエンドとなるが、これは後日譚がある。 ギャルゲーのハッピーエンドのツケを払わされている感じだ。 結ばれて、やっちゃって、結婚して、まあ出来ちゃった結婚なんだろう、朋也が生まれたのは。 高校生が人を養い育てて行くのには並大抵の労力で推し測れるものではない。 ギャルゲーに有り勝ちな真面目か引っ込み思案な主人公がヒロインと相思相愛となる、てのは有り得ないのだが、万が一にもそうなってしまった場合のツケを払わされる。 現実に引き戻されてしまう。 厳しい現実に耐えられないDQNは子育てを放棄して、剰え子供を殺す事態に陥ってしまうのである。 だが、史乃から語られる直幸の半生はひたすら現実(残された朋也)と向き合い、努力したものであったと言う。 朋也は渚を喪ってから父直幸と同じ様な道を歩んでしまっている。 しかし朋也も自省するかの如く、直幸は向き合っていた積もりでも本人は全く汐の事を放棄して自堕落な生活を送っていたのであった。 若さ故の過ちは、時として重い十字架を背負う事となる。 朋也の場合は現実から目を背けていただけで直幸よりかは恵まれていたようにも思える。 祖母の史乃に諭された朋也は目が覚めたのか、汐(現実)に向き合う様になる。 渚の事が語れなかった朋也は漸く汐に語る事が出来る様になるのだが、突如として涙が溢れ零落する。 僅かであった渚との思い出が涙と共に滾々と湧き出て来るのだ。 もう、クライマックスも近いのだろう。 朋也の長い長い坂道はピークへと登り詰める。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.19 08:05:00
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