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シンボルマークは緑のライオンである。 しかし緑のライオンってその像が青銅化してるからじゃないのか? この建物は年代を感じさせるが、中は狭い。 展示には十分な広さではある。 大した事のない展示かと思ったが、それは失礼。 内容は意外と豊富で、時間内迄には収まらなかった。 福澤諭吉に纏わる品々の多さと来たら。 福澤の弟子と、学校があったからゆかりの品が沢山あったのだろう。 福澤諭吉は幕末明治の人であったが、当時としては170センチ以上ある巨体だった。 よく写真は残っている。 当時としても写真は珍しいのに。 幕末の丁髷を結っていた頃から、年老いた時の写真迄あるのだ。 下級武士とは言え、稀有な人だな。 大學創設者だからか、知識と教養に溢れた人間だと思った。 福澤諭吉の思想はどんなものか、この人は自由主義者である。 いわゆる男女同権論もそうだが、一身独立を謳うのも、向こうからやって来た思想なんだと思う。 下級武士程、外国思想にかぶれやすい。 パンピーなんぞは、お上に付き従えばいいと思うから、思想なんてものは始めから無いわな。 註を入れれば思想が無いことは決して悪い事ではない。 千変万化する季節と風土の中に於いて、確固たる思想なんて持たない方がいいのだ。 恐らく、福澤諭吉ら海外組は外国に個人や学問体系に確固とした考え方(言わば思想なんだけど)が存在した事にびっくり仰天したんだろう。 そんで、日本知識人達には今迄思想と言える物が無くてこれもびっくりしたんだろう。 よく思想の無い状態で国を運営して来たなと。 日本には水戸学、国粋思想が有った事には有ったのだが、御覧の通り、国粋思想は黒船大砲の前に敢えなく撃沈した訳だから、無くなったに等しい。 そんな思想の無い国に外国からの新たな思想を注入しないと駄目だなと観念して謙虚になって学び始めたのだろう。 だからこそ、福澤諭吉の考え方は学生の頃にはちんぷんかんぷんだったが、今で言うところの保守派に近いものがあったのだろう。 リベラルな人達は福澤の当初の思想にはかぶれるが、国家主義的な考え方には嫌悪を示す様だ。 しかし福澤の考え方は外国由来である。 英米仕込みなら尚更である。 この人は脳味噌だけでなく、ボディの事、身体の事を常に考えて行動していたらしい。 自らの子供の名前には大した事のない名前を付けていたそうだ。 ぞんざいな名前だったらしい。 理由は名前なぞ符諜に過ぎないと。 特に奇妙な人間みたいだなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.09 02:22:49
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