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2009.03.08
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カテゴリ:毒電波テレビ感想

先ずは、銭ゲバの感想。

今回も凄かった。

緑の最愛の妹であり、風太郎の妻であった茜が自ら命を絶った後の話である。

茜は風太郎への愛を失いたくないが為に自ら命を絶った。

乗っ取りの口実の為に結婚したが愛を感じなかった。

 

つい感情に任せて風太郎を殺しにかかるのだが、風太郎と同じになると咎められてしまい、泣き崩れるのであった。

愛は感じないのだが、魘される。

 

恰も阿鼻叫喚の如く。

風太郎は人を殺した後、若しくは失った後に常に悪夢に魘される様だ。

 

人間としての感情を未だ殺し切れて居ないのだろう。

眠っても尚悪夢と思しき物に苛まれるのは、人間としての感情と金に対する執着とが鬩ぎ合っている。

 

茜を喪った事で、人間の感情が削ぎ落とされて行く。

 

人に対して感情的になるのは、相手に感情を確認しているからだろうか。

 

金と感情を天秤に掛けているように見える。

 

貧乏人の代表であるような、伊豆屋は金よりも愛だとか心だとかをモットーにして生きているようだったが、彼等の言葉や言動が却って風太郎を追い詰めている様だった。

 

碌で無しの伊豆屋の長男は、札付きのどうしようもない人間であった。

心だと言ったが、莫大な借金を抱えており、風太郎の依頼を返事一つで受けてしまった。

 

貧乏人の心なぞ、金の前ではいとも簡単に折れ砕け、平伏してしまうのである。

風太郎が伊豆屋の醜態を前にして「あんたらみたいのがいるから、この世界は腐るんだよ!」と吠えたのも、一理あるのだ。

 

貧弱なモットーで気張った積りでいても、結局お金持ちがそれを釣り餌にして良いように操られてしまう現実が横たわるから、風太郎はそんな彼らに苛立ちを感じたのだ。

 

それと同時に、風太郎は彼等の様な貧乏人への一縷の望みを捨て去ってしまった。

彼らには一目置いていたのだろう。

そっくりな兄貴がいるという事で、ただ貧乏という共通項で、もう一つの自分を重ねていたのだろうか。

叫びは、普段は冷静沈着さを見せている風太郎にはないものである。

 

大体、風太郎を追い詰め、行動に駆り立たせるのは、金持ちや一般人ではない。

貧乏人である。

伊豆屋の主人の言葉が風太郎の行動を決定づけさせる。

 

「自分の行動が正しい」と呟いたのは、「結局金」だと言う事による。

 

風太郎の範囲は狭いなと思った。

金持ちになっても、伊豆屋の一家が訪れたり、刑事が付き纏ったり、勿論三國家はいるのだが、傍には常に憎き父の気配がある。

伊豆屋の女子高生の野々村由香は一見金に靡かなかったと思われた最後の良心かと思われたのだが、結局家族を救うために金を手にする事に無心になってしまった。

父の健蔵が貧乏人がお金持ちに決してなれないと言ったのは、貧乏人には常に貧乏性が付き纏って来るからだろう。

 

貧乏人が金に靡かず、新たな道を模索出来るか、賭けていたのだろう。

それも最悪な結果で現れてしまった。

 

家族を守る為が、いつの間にか金に執着して心も道徳も捨ててしまった事である。

そんな伊豆屋の一家を風太郎は見限ってしまった。

それと同時にこの世界にも見切りを付けてしまった様に思える。

 

対極にある父は、金に厭きてしまったらしく、早々と返してしまった。

金に縊り殺されたくはないからだろう。

 

風太郎は、亡き母に父は悪くないと言われたらしく、自らの手では殺さなかった。

父には自らの処遇を自らで決めろと、手切れ金の10億を渡したのであろう。

 

風太郎は何処迄も哀しい男である。

この世界では何も手にする事は出来なかった。

 

皆が等しく手に入る物は風太郎には無い物である。金には代えられない。

視聴率が低い儘、最終回を迎える。時代に合って居る様だが些か無理が有った様にも感じられる。

 

さて、今回の『私が子どもだったころ』は荒俣宏である。

戦後間もない頃の生まれで、父が事業に失敗して生活に困窮していた様だ。

戦後の人達って大体共通しているのは、事業を起こして大体失敗して貧困を作り出してしまう事である。

負けて焼け野原となってしまってガラガラポンとなったからと言う事で、一念発起して一発当てようとする山師みたいのが戦後わんさか湧いたのだろう。

 

勿論成功しているのもいる。彼等は中小企業だったり、時として大企業の経営者みたいな人になってたりしている。

成功する人もいれば、失敗する人もいた、ただそれだけである。

荒俣宏は大の蒐集癖の持ち主で、彼の博学の由来は、幼少の頃の貸本屋である。

 

この探究心が無ければ、彼の現在は無かったのである。

貸本屋の本をパクった事に観念して弁償したけど、返さなかった本は川に流してしまったようだ。

しかしまあ、相変わらず似た子役を用意するよなあ。

 

 

そして、DREAMだが、深夜に挌闘番組がやっていた。

一時期総合の時代とは言われていた(?)が、去年の大晦日の視聴率は、一桁台と言う惨憺たる状況だった。

寝技のくんずほぐれつばかりで飽きたのだろう。

 

このまま行けば、PRIDEみたいな道を辿る事になる。

深夜とは、プロレスか…。






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Last updated  2009.03.09 06:57:03
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