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期間は短いが、清朝が崩れてから同時に建国したのであるが、歴史教科書にはトゥヴァの名前がない。 そもそもトゥヴァを承認していたのは帝政ロシアから受け継いだソ連とソ連の衛星国のモンゴルだけである。 しかも、歴史教科書にはモンゴルが独立していたかのような記述をしていたが、ソ連の傀儡であった為に戦前の日本発行の亜細亜地図にはモンゴルが独立していたと言う記述はなされていない。 飽くまでも、支那の一部であったと言う認識。 但し、支那が主権を発揮していたかと言うと、それも違う。 支那には主権が存在していないので、地理上の支那世界としてしか認識されていなかった。 モンゴルと言う国はあっても、独立を承認していなかった。 敵対するソ連の傀儡国を認める訳にはいかない。 モンゴルと言う国ではなく、当時は外蒙古と読んでいた。 モンゴルの事を蒙古と呼ぶのは戦前のそれも終戦迄大人だった人達位である。 しかし、ケツの青い証拠を蒙古斑と呼ぶ習わしなら残っている。 しかし蒙古って名前は分析しても啓蒙と言う言葉に有るように、蒙きを啓かしめる、である。 蒙い(くら・い)である。 エンライトメントの訳語だが字面からして、蒙くて古い意味が込められている。 明らかに華夷秩序に押し込めているのだ。 モンゴル人は漢字が嫌いなのである。 中国人が嫌いのようだが。 逆にモンゴルと一緒に独立したチベットも、当時は何処にも承認されなかったが(日本未承認)イギリスやインド(イギリス連邦のインド帝国)は認めていた。 同時に新疆は帝政ロシア・ソ連に於いて東トルキスタンと言う国を作らせていた。 本来なら歴史教科書に東トルキスタン、チベット、モンゴル、トゥヴァ、滿洲国と蒙疆の地図を描かねばならない。 歴史事実を封印してはならないのである。 実際にその地域(国だけど)には独自の切手を発行したり、支那の政権が名前だけあっても行政権を行使したことなんてないのである。 西康省と言う行政機関はあっても名ばかりで実際は行使も出来ずに「川邊」等と言う窓口機関しかつける事が出来なかった。 北方領土に似てるかと言えば、そうではない。 日本は北方領土の主権を有する。 しかし、占領しているのはロシアである。 領土問題は存在しないと言いながらも、日本から金を引き出す為に北方領土(千島と樺太を含む)をダシにしており、また、樺太と千島を含んだ地図を行政旗にしている以上、日本領だったことを裏付けており、そうでもしないと自分達の主権の根拠がなくなってしまうからである。 支那の場合は、主権が国民党他多数の軍閥や政権が存在した事もあって、各々別個に独立していた。 チベットは独立していたのであり、中共が国民党を追い出してからチベットを侵略した後に併合文書の条約を突き付けたのである。 チベットを地方政府とする文言は気になるが、一個の国として認めていたのだ。 モンゴルはソ連の力が及んでいて取る事は出来なかった。 中共はソ連があったが為にトゥヴァとモンゴルやパミール高原を手にする事は出来なかったが、ソ連から取ったのは滿洲と東トルキスタンだけだ。 国民党は負けて台湾に逃れたが、どうせなら清朝の版図その儘取っちまえと思ったのか、地図には有りもしない区画が描かれているのだ。 まあ、流石に外滿洲や朝鮮、越南や沖縄の主権を主張してないみたいだが。 但し、沖縄返還の際に国民党は沖縄を帰属未定だと位置付けているようだったが、それが現在どうなってるかは不明。 樺太を中華の主権に組み込もうとするのならそれはもう捏造だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.29 05:45:52
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