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意外と知られていない小笠原諸島の真実?
テレビでしかもバラエティなのでなにぶんか脚色が加えられているかも知れない。 そんな判断は取り敢えず無視と決めた。 小笠原は東京都である。 明治時代に漸く日本領として編入された。 小笠原の一部分をアメリカが領有していて売買取引も行われ、行政も敷かれていた様だが、それが何故だか日本に主権譲渡してしまった。 これにはややこしい理由があるのだが、小笠原諸島の発見者に因み、誰が早かったかによる。 当初第一発見者がイギリスと言われた。 アメリカがイギリスに渡すくらいなら日本に譲れと考えていたのだろう。 後から小笠原貞任なる人物が誰よりも先に発見したからと言う逸話を基にしていたのだそうだが。 イギリスはチャンスだと思っていたのだが、その偽の情報に踊らされていたヨーロッパがそれを根拠にしていて非難したらしく、イギリスが困ってしまっていたそうだ。 やっぱり日本も自分達の間近の所に外国の基地があるとなると安全保障上問題有りと考えたのだろう、幕府が小笠原に回収団を派遣して調査に乗り出し、日本領の石碑をおっ立てたのだと言う。 尤も小笠原がアメリカ領だった事もあって、島に移住して来たアメリカ人の末裔が今でも存在するのだ。 セーボレー一家が当時の小笠原の移民だったが、明治頃に殆んど日本に帰化してしまったのだ。 名をセーボレーから瀬堀と改めて、日本人になった。 元々無人島で東洋のガラパゴスは有名。 何者にも侵されない固有の種が多く残されているのだ。 外国では小笠原の事を無人島(ブニン・アイランド)と呼んでいる。 名前からして、日本語由来なのだから潜在的に日本世界の一部じゃないか。 ただ、日本世界だっつっても、日本人達が知り得る世界の手の届く範囲なのだが。 逆に支那では台湾の名は古くから知られていたが、島の全貌を知る訳でも無く、そこに降り立った事もない。 詰まり、降り立って行政区画に取り入れなければ領土(領有)となる訳ではないのだ。 樺太は日本領だった。 江戸時代より既に幕府直轄であった故に外国に侵されない為にも急いで全体の調査を始め、明確に定めたのである。 その後にロシアが強引に入植を始めて混在するようになったのだか。 現在、樺太は日本領でなくなってるものの、主権譲渡した相手を決めていないので空欄の儘である。 本当は台湾も白い空欄で書かねばならない。 帰属先を決めていないからだ。 主権の放棄を強制させられたものの、誰に譲るか決めていなかったからだ。 講話条約にも主権の放棄はあれど譲渡を約束した覚えがない。 小笠原もアメリカが奪っていたのだが、日本が独立と同時に返したのだった。 占領期間に、元々島に帰化していた在来島民達を行政委員会に任命させたり、アメリカ化させていたりもしていたが、復帰と共に、アメリカに戻ってしまったのだそうな。 小笠原人て、誰の事かと言えば在来島民の事なのである。 アイヌを北海道の先住民決議させてしまったのなら、小笠原諸島はアメリカ人の物になってしまうぞ? 勿論、東京の城北地区(ニコライ堂ね)は白系ロシア人の末裔がいるのだから、彼等もロシア人てなってしまうでないかい。 こんなことをしてしまえば、八重州オランダ族とか、水道橋ロシア族とか、小笠原アメリカ族とか、清水・上州ブラジル族とか、城東インド族とか、日比谷イラン族とかいっぱい出来てしまうでないかい。 日本人でいいじゃん。 ご先祖さんが異国から来ました、で。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.27 06:20:46
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