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カテゴリ:映画日和
あとこんなのもある。
日本人が出ているモンゴル映画ではこれが秀逸だろう。 反町モンゴルは無かった事にされてしまっているが。
このお話は、後のチンギスハーンであるテムジンの幼少時代から始まる。 尤も導入がタングートで奴隷として売られているところから始まるのだ。 詰まり、少年時代とは回想なのである。
幼い頃から嫁選びをさせられるのだが、テムジンではなく後の妻となるボルテが見初めた事による。
一歳上って、成長したらテムジンの方がおっさんになってしまったじゃないか。 しかし、マイナーと思われがちだが、よく出来てる。 地獄の底から這い上がる様を描いている。
反町モンゴルと比較されてしまうが、大規模戦闘は盟友(アンダ)のジャムカとの戦闘位である。
それまでは小競り合いの抗争って感じだな。 まあ、モンゴル人自体が数少ないから部族同士の抗争って感じなのだろう。 ハーンも統一前は族長の意味でしかなかったのが、頭に大を付けて大ハーン、皇帝の意味を冠する様になった。
しかしジャムカがなんだありゃ。 ジゴロじゃねえか。 黒貂の毛皮がヤクザの羽織るそれみたいな感じに見えてしまう。
世界観が広い。 規模は小さく見えるのだが、単調ではないのだ。 いろんな民族が行き交う。
テムジンはどうやら掟破りだからこそ、この戦いに勝ち残って、いや全モンゴルを統一出来たのだろう。
モンゴル人は雷を極端に恐れる。 天(テングリ)の怒りだそうな。 テムジンが恐れなかったのは、今迄が地獄だったからか? そしたら何も恐れる事は無くなったのだと言う。 丸で銭ゲバだな。
ジャムカを結局逃してしまうのだけど、その後のお話は単なる解説で終わってしまった。 反町モンゴルではジョチを喪ってから金(アイシン)帝国に攻め込む迄を描くのだが、自分としては浅野モンゴルで十分だと思う。
反町モンゴルは大々的にやったにも拘らず、湿っぽくて世界観が狭いのだ。
奴隷となって零からのスタートとなったテムジンが兵隊引き連れてジャムカと対峙する迄のプロセスは端折られている。 この映画で見せたいのは、テムジンの不撓不屈である魂と、掟破りをすることなのだろうか。 違ってたら御免ね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.04.18 06:46:29
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