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カテゴリ:毒電波テレビ感想
花粉がまだ舞っている。 檜が燻っている。 杉が収まったら、檜の番だ。 何れも供給の為の樹木だから大量に作られてしまっている。 昔はアレルギーなんてものは無かった。
無いと言えば嘘になるので、ある事はあるのだが。 アトピーも古代ギリシャ語を語源としていたから既に知られているのである。 アトポス、不可解な場所、意味不明な痒みから来る。
しかし、現在の国民の殆んどが何らかのアレルギー反応を示しているのは最早これが現代病であることを証明しているのである。 恐らく、本当に化学物質が横行しているからなんだろう。 それと天然の物質がくっ付き合って人類に害毒を齎している。
って、話が大いにずれてしまったが、今回は私が子供だった頃に出て来たのはアルピニストの野口健である。 健は外交官の父とエジプト人の母を持つ。 母が外国人だったが為に周囲との軋轢は烈しく、遂には父と別居して離婚してしまう。
母からはバルデンと呼ばれていたらしい。部屋も母国色で、公舎もそれに染めていたと言う。 何故エジプト色をそこまで出すのだろうか? 個人主義だからそうなるのだろうけど。 逆に日本人が外国で同じような事をやったら同じように冷たい目で見ていた事だろう。
外交官だから日本、エジプト、イギリスと各地を転々とする。 結局、健は外見は外国人っぽいのだが考え方は日本人そのものだったので、悩んでいたのは世間の方ではなく、家に関する事だったのだろうか?
一貫校に通ってはいたが、成績も振るわず最下位だったようだ。 同級生を殴って停学処分を食らった様で、謹慎中に山に登れみたいな事を父から進言されたそうだ。 そんで16の頃に日本の天狗岳に登って頂上に辿り着く。 ここから山登りをする様になるのか。
ターニングポイントは謹慎中の山登りと言う事なのだろうが、これが無ければ野口健は存在しないのだ。 大体、この番組は二段階の成長記録は無いのだが、小学生の頃と、高校生の頃と場面が変わっているな。 健を演じる両者は本人にそっくりだ。 経済的には恵まれていたけど、家庭環境は恵まれていなかったようだ。
その後に見た番組で障碍者プロレスの事がやっていた。 厳密には聾唖者プロレスだが、実際に興行をするととても静か。
マットに打ち付ける音が響くだけである。 でもなんだかすごい。 やっぱり興行プロレスである。
見世物だから面白かったりする。 聾者に対して聴者って対義語が存在するのはなかなか知る事が出来ない。 その団体の興行名が登竜門を文字ったのか、闘聾門と記されている。
聾の字が入っているのである! 最早言葉狩りで「聾」の字すら使えないのに自分達は使っているのである!
ゲゲゲの鬼太郎が五期に突入しても尚、あらゆる表現や言葉狩りの規制の憂き目に曝されつつ削ぎ落とされても、「あるもの」だけに気付かないのか、そのまま残ってしまっているのがある。 南方(なんぽう)である。 南方妖怪が日本の妖怪を脅かす存在として出て来るのだが、水木しげるこそは南方に縁のある人物他ならない。 南方に出征した事もあって長らく南方にいたのである。 原作の鬼太郎の最終回も南方で暮らすようだが。 それ程迄にも南方に強い思い入れがある。
さて、書いて来て気付いただろうが、南方妖怪の南方と言う表現は、戦時中に使われた表現である。 支那と満洲と蒙古と同じ表現である。
言葉狩りで支那は消えつつあり、満洲は死語となり、蒙古も忘れ去られようとしているのに、南方だけは何故かスルーされている。
誰も責めていないしなあ。 その儘残ってしまったケースだ。
そもそも南方は本土より南の、小笠原や硫黄島よりも更に南の地域、南洋群島の事を指していたのである。 ミクロネシアやパラオとかの北太平洋の日本領の島々を指していた。 絶対国防圏だった。 大きく言えば太平洋の地域を指していたのである。 もっともインドネシアとかオーストラリアも南方である。
戦後も半世紀以上経っているのに、誰も気付かない。 尤も、名称だから残るのは当然なんだけど。 蝦夷栗鼠とか蝦夷鹿とか、蝦夷が蔑称?であるにも拘らず残っている。 支那蕎麦や支那竹も残っている。 蒙古斑も蒙古襞も残っている。 満洲の名残である満漢全席も残っている。
兎に角、余り気にするなって事だろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.04.21 05:57:54
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