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カテゴリ:毒電波テレビ感想
途中からだったのが痛い。
しかし、大体概要は後から聞いて判ったので、それでも良かった。 小松政夫は戦前生まれ。 だが、戦後教育の申し子ではある。 現在、67、8歳ってところである。
戦後の日本ではあるものの、小松家は他と較べて裕福であった。 福岡の生まれで、父が多角経営をしていた実業家であった。 兄弟は多く、躾も厳しいところであった。 小松政夫は幼い頃より剽輕で他人を笑わせる事に使命感を持っていた様だ。
自ら道化を買って出る人間もいれば、道化になる事を嫌う者もいる。 前者は芸人を目指すが、後者は苛められっ子になってしまう。
ただ、それも一種の経験で後者の立場でもお笑い芸人や何かしらに秀でる人間になる事だってある。 内藤大助が苛められっ子だったのは言うまでも無い。 しかし、ここでは小松政夫の事なので余り関係無い。
何時もの如く、ターニングポイントがある。 実業家だったと有る様に、その父が政夫が中学生の時に病気で逝ってしまう。
実業家の仇なのか、お金もある分、借金もあったようで、当時は珍しかった三階建ての白堊の宮殿迄も売り払って狭い長屋に移り住まずにはいられなかった。
政夫の兄は当時大学生だったが、学生を辞めて迄働こうとしていた。 政夫の兄弟の中に一人際立って綺麗な姉?がいたなあ。何をやっていたんだろう。
しかし、生活は困窮を極めており、大学どころか政夫の高校進学すら危ぶまれていた。 当時は、周りの人が温かく支援してくれていたようで、お世話になっていた旅館が政夫の学費を拠出してくれていた。 鋤焼も馳走になったようで、友人を集めて囲った時に今迄自分の父にされた様に、人参ばかり避ける友人に箸で叩いて見せた。 自分が叩かれた時は、小松政夫の往年のギャグを披露していたのだった。 13年位しか父といられなかったようだが、その間の父から受けた刺激は物凄く大きなものだったらしい。
父も剽輕で、小学校の入学式の祝辞?の時にかなり明朗におどけた感じで演説をしたのであった。
幼き日の政夫は周りにあれは小松政夫の親父じゃないのかと指摘されても知らんぷりをしていたのであった。
そう言えば、過去に放送していた張本勲の回があって、自著のサインに生涯安打数を一緒に添えていたが、ついこの前イチローに安打数を塗り替えられてしまった。
もう二度と、サインに安打数を書けなくなってしまった。
藤原紀香も、以前ここで強かな女だと感想を述べたが、その後に離婚をしたんだよなあ。 陣内曰く、自分の心の弱さだと。
心の弱さと言えば、神に昇華したクサナギノミコトは人の時代に自らの心の弱さだと語っていた。
「裸でいて何が悪い!」 神は服を着る必要はない。 服は俗界の衣。 穢き衣を身に纏い人としてこの世に降り立つ。
クサナギノミコト(俗界の名は 草 弓剪 剛)はドーン教の神(江頭2:50)を軽く超えてしまった。
クサナギノミコトは俗界では自粛と言うが、神様だから神の国へと還って往ったのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.04.28 05:49:01
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