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カテゴリ:毒電波テレビ感想
第二回目だ。 こういう作品には必ず、ストーカーみたいなものが出て来るな。 ストーリーとは関係ないが、明らかにレギュラー陣に対して差別的な意味を込めさせる。
トレンディドラマの絶対悪の象徴は、ヤクザではなく、ストーカーである。
気持ち悪い人間は、悪である。 結局このドラマにストーカーはいなかったのだが、電車男でもストーカーが出て来たな。 オタクや草食系男子よりも劣る存在、それがストーカーである。
暗い癖に肉食だからだろう。 実際ストーカーは犯罪で、それをする者は犯罪者だからである。 ヤクザなんか存在自体が犯罪なのに、ヤクザをテーマにした作品は現在でも溢れている。 任侠ヘルパーなんかもそうだ。 ヤクザが主人公だ。
ストーカーが主人公なんて有り得ない。 ストーカーを題材としたドラマはあったが、彼等の言い訳が通る事は無い。
彼等の行為が端から嫌われているのだから、どんな言い訳も弁明も通らない。
彼等にどのような行為をさせれば褒められるのか。
単純だよなあと思う。
オタクなんてものは理解不能だったから、キモがられたのであるが、オタクの人口比が増す事により、オタクへの理解が増えたのである。 その奥深き闇の底で、ストーカーの存在を知る。 当人しか判らないが、当人は極普通の事をしているつもりが、相手には理解不能だから悪に見えてしまう。
古代では、蝦夷(えみし)に類推されるだろう。 蝦夷の語源は、「えみじ」。 「え、見じ。」という、「見る事の出来ない」の意味から来ている。 「蝦夷」こそ本来の日本人の姿なのだが、外国に被れた和人達がその本来の姿を外国文化に染まってしまって忘れてしまっているから、違う物だと知らん振りしているだけである。 オタクやストーカーも、決して外に有る物ではなく、本来の自身の姿でもある事を大衆は見ない振りしているだけである。 相手の悪は自身の弱さ。
オタクやストーカーを抑えているのは、理性と文明である。 しかし、オタクもストーカーも生んだのは文明である。 自らの感情から排除しても、排除し切れないので、外に設け様とする。 賭博区域や風俗区域と同じである。 それが小学校の内から行われ、当て嵌められてしまった人達が、文明と理性の圧力でオタクやストーカーとなる。 オタクの歴史は、12000年と考えるべし。 オタクとは、現実世界にもう一つ仮想現実を設けて、其処に住む人の事である。 創作物とはオタクの走りだ。 縄文土器なんて明らかに実用を遙かに超えた創作物である。 思い巡らし、その世界に生きる。 オタクにはもう一つの世界があるのだ。 もう一つの世界がある事を理解出来ないから、したくないから「キモい」のである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.10.26 02:41:21
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