|
カテゴリ:毒電波テレビ感想
畿内にある古墳が何だか卑弥呼の墓だと言うのだ。 何か、考古学の発見らしい。
前々から思っているのだが、畿内説を持ち出すのは、神話を否定した左翼連中が考古学的成果で卑弥呼だか奴国王だとかを捏っち上げ、新たな偽史に摺り替えさせようとするからである。 卑弥呼の時代は日蝕が確認出来たのは良い事だ。 そうなると、卑弥呼は神話の人物となってしまうな。
天照大神が太陽と日蝕の象徴だと言う事は知られている。 唯、言える事は仮令天照大神と卑弥呼が実在だとしても、同一人物ではなく、同時代の生きていた人間ではないかと。 日本は広いんだよ。 抑も、倭国大乱の記述から数十年経った後の卑弥呼の時代から、後継者の豊へと引き継がれた途端に、倭国の記述はなくなってしまうのだ。 統一なんか出来てない。 卑弥呼と、現代の皇室は何ら繋がりは無い。
列島の記述があるだけで、現在の日本国とは何ら関係ない。
日本史と、左翼の歴史科学(笑)が不協和音で混合されてしまい、悲しい事にそれが教育の現場で教わっているのである。
日本国の歴史は、天皇の歴史と共にあり。 天皇以前は、先史である。 当然である。 神武天皇(神倭言彦)は恐らく、卑弥呼と同時代なのかもしれない。 因みに、彦は日子である。 日輪の子供。 神様の名前なのである。 姫は日女。 日輪の娘である。
神話は完全に一つではないので、幾つものお話が内包される場合が多い。 大国主神も、元々出雲の神様。天照大神は畿内の神様。 天照の弟神は九州から韓国に掛けての神様らしい。 始祖の二神も元々淡路を中心とした神様、らしい。
歴代天皇が日本国を統べる時に各地のお話や建国神話を吸収していったのであろう。
天照大神は以下、オオヒルメノムチとも言われているので晝(昼)、弟の素盞嗚尊は荒だ。 月読は文字通り、月。 伊弉諾・伊弉冉はその読みから誘(いざなう)。 軻遇突智は読みからして、輝槌。詰まり、輝く槌、光り輝く槌、雷の事を指すのである。 落雷による発火である。
日本には、動作や状態から神格化させる伝統がある様だ。
世界ふしぎ発見を観る限り、どうも卑弥呼は人間ではなさそうだ。 神様に近い、というか状態からの擬人化、若しくは神格化って感じだ。 神が顕現するってのはこう言う事なのかなあ?
邪馬台国は、日本ではなく飽くまでも倭国にあった都市国家である。 本来、国(くに)と言うのは支那の言葉で群がってる状態の集落を意味する郡が訛って出来た言葉である。 郡って言っても、古代支那の中央が行政組織として組み込んだ言い方に過ぎないのだが。
どの道、国(こく)も城壁で囲った共同体を意味するのだから、都市そのものなのだけれども。 邪馬台国は、幾等何でも現代の国家の枠組みの中に入れるのは無理が有り過ぎる話である。
話の内容は面白かったが、余り意味の無いものであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.23 06:21:19
コメント(0) | コメントを書く
[毒電波テレビ感想] カテゴリの最新記事
|