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カテゴリ:独断と偏見な時評
12月23日は天皇誕生日である。 公然とイブイブと言う奴は我が国が天皇を擁く国だと言う事の認識が足らない。
学校でも教わらないのだから、致し片無いのかも知れないが。 我が国の国家元首は、天皇である。
象徴だとか、曖昧あやふやにさせているのはアメリカがそうさせたから。 大臣がリーダーではない。 国家元首は天皇である。
この認識が足らないから小澤一郎の様な国賊に掠め取られるのである。 しかし、ミラーマン(植草一秀)の認識は相変わらず酷いな。 小澤や道新(北海道新聞)の認識が正しいと捉えるのは、見えている世界が顛倒しているとしか思えないからだ。
憲法が先で天皇が後と言う誤謬に囚われている。 憲法は飽くまでも、そうなっているという説明に過ぎない。 恐らく憲法が国家を縛るものだと言う思い込みからくるのだろうが、単なる説明である。 確かに、国体(國體)は憲法でもあり、そして根本は天皇である。
しかし天皇を縛る条項なんて何一つない。 内閣に従えとも書かれてない。
アメリカに反撥する割に、アメリカが作らせた欺瞞だらけの憲法観に囚われている。 国民主権至上主義に囚われている以上、アメリカの軛から抜け出す事は出来ない。
ミラーマンの認識は佐藤優の認識と同じである。 http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-13c6.html
直リンは関心出来ないが、その認識は中学生レベルで余りにも幼稚である。 小澤もこんな提燈持ちが勝手に庇って呉れる事で安心してるんじゃないか? 或いは、どうせ中学生程度の認識さえあれば国民は靡いて呉れるとでも思っているんだろう。
何度でも言うが、天皇は国家元首である。 憲法に書かれている事が全てで、国事行為が形式な物ならば内閣の召集や解散を天皇がする必要が無いのである。 況や全てのセレモニーなんか必要無い。
天皇は自らの持てる権力を三権に分け、各々の国民の代表に賜っているのだ。 三権分立なんて無いと考える奴がいるのなら、警察が人を捕まえても裁判通さず有罪判決を自ら進んで受ければ良い。
小澤は、権力が三つに分かれている事が気に入らないらしい。 小澤は寧ろ三権や国民主権、いや、間接民主主義に助けられているのである。
直截の民意に委ねたら小澤なんて即追放である。 ミラーマンなんかも、裁判通さず牢屋行きである。 ミラーマンは個人的な恨み事を国家にぶつけているだけで、全てが見えなくなっているのである。 手鏡裁判と行政は別である。 権力は全て一つに繋がっていると言う単純な陰謀論である。 陰謀論者には三権分立なんて信じられないのだろう。
事業仕分けなんて単純に立法の、行政への越権行為である。 今回の小澤の件も勿論越権行為である。 天皇のみならず、内閣への口出しも越権行為である。
越権行為が罷り通ったら、最早政治も要らない。裁判なんかも要らない。 自分達がやられて一番困る事なのに、平然と権限を侵し始める。 残念だが、上記で名を挙げた者達は、完全に私怨に取り憑かれた者達なのである。
国家とはと言う認識に欠けている。 国民は日本国の象徴として顕現された天皇より三権を拝受しているのである。 憲法は飽くまでも説明に過ぎん。 國體を文章化してるだけである。 ホリエモンもそんな上記三名と大して変りの無い認識だったよなあ。
頭の良いと思われる連中は、今回ので俗っぽい権力を手にしようとし始める何よりの証である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.12.28 05:18:19
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