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カテゴリ:毛ー1と夢と挌鬪技
リングで鬪う事以外でも、なんだか諍いが行われているみたいだ。 なんで乙がマイクパフォーマンスで「MAXは潰させはしない!」と叫んだのか。 そして佐藤嘉洋が「視聴率の為になんか戦っていない。」とか、なんだか観客置き去りの意見がこの試合前後に飛び交っている。 そしてDREAMだけど、青木真也までもこの諍いに参戦気味。 てか、佐藤と青木はツイッターで馴れ合ってるから、話の事情が掴めているのだが。
魔裟斗がいた頃のMAXの試合と、今回の試合を比較してみて判ると思うが、会場の規模が、明らかに壁が見えてて縮小しているのが判る。 6000人超で満員なのだ。 1万人ではない。 今回の視聴率も10%を僅かだが超えただけ。 最高視聴率が15パーセントだったのが先にも挙げたDJ.Taikiと渡邉一久の試合である。 野球開幕戦は7パーセント。 これで野球が最早一般視聴者から見放されているのが良く判るのだが、もう10%超すのさえ難しい世の中だ。 8パーセント行けば良い方だと言ってたが、これで先ずは打ち切りにならずに済んだだろう。 自分はツイッターもやっていて時折、有名人にカキコしたりするのだが、たまにレスが来る事もある。 視聴率至上主義を余り好まないらしい佐藤はあちこちで、記者会見でもツイッターでも本音を零す。 青木も佐藤に同調する。 プロとは何か、改めて問われると佐藤は「自分の意見は押し付けない」「100人それぞれの考え方がある」「自分の考えに合わなければサヨナラ」と言うポストモダン的・価値相対主義の意見を開陳する。 もっと反論して論破してやろうかと思ったが、それでは単なる痛い人で、やっぱり勝ちに拘る必要はない。 現実的には何も変わらないのに脳内闘争で勝利宣言する様は、 ちびまる子ちゃんで勉強が嫌な理由を佐々木のじいさんを持ち出すと言う詭弁で正当化して姉に勝とうとするまる子そのものである。
もしかしたら、佐藤嘉洋はプロとアマと素人の区別が付いてないのかも知れない。 何年もリングに上がっているから違いは判るだろうが、明確な区分けは付いてないだろう。 お客さんからお金貰うのがプロである。 それ以上もそれ以下も無い。 他に理由なんてない。 自分の思い描くプロなんて存在せず、それで飯食ってる人の事である。 そいえば青木はかつて、パフォーマンスをするのなら下半身丸出しにするみたいな事を言ってた。
「遼君や真央ちゃんが数字気にしますか?」 これも誤謬がある。 真央ちゃんはアマチュアである。
アマチュアは素人ではない。 オリンピックはアマチュアの祭典である。 遼君は、別に視聴率とは別の所にいる。 スポンサーがいてゴルフを取り巻く環境が整っている。 お金が動いている。 スポンサーが遼君に当て込んで依頼している。 佐藤嘉洋は自身でも「ちんたら負けているのが悪い」と自分に言い聞かせていた。 佐藤がそのスタンスを貫くのなら、それは佐藤の自己責任である。 佐藤が強いから周りがちやほやするのである。当たり前である。 ドラゴに負けてから一気に佐藤の株が落ちてしまった。 それだけでなく、その後にドラゴは(贔屓判定とは言え)ゆーやに負けてしまったのだから、日本王者の威厳と地位は怪しいものになってしまった。 そればかりでなくリザーブのメス戦はどうやらプロテクトを期待していた、らしい。 延長が何よりである。 リザーブ決勝も、城戸(ごとき)にダウンを奪われて、なんだか大丈夫かと思えてしまう。
そんなだから、自分の株を上げるべくペトロ戦を捻じ込ませようとしたのだろう。 だがペトロには逃げられてしまった。
佐藤の考えるプロって、それは単なる、ではないが、求道心じゃないのか? どうもプロの重みが日本語になってしまって混同されている気がする。 求道心はアマチュアである。
日本人はこのプロ>アマという考え方に縛られている様な気がする。 求道心も無ければそれは単なる素人である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.03.31 05:52:58
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