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カテゴリ:毒電波テレビ感想
凡そ、半世紀前の映画が時代劇チャンネルでやっていたのだが、もう礼を失するが大爆笑ものである。 映画だから総天然色という、本当に昔の映像だが、これは貴重な財産として保存すべきである。
御存知、山田長政は江戸時代初期の人間で、暹羅に渡って六昆(リゴール)太守を務めた。 その六昆も攻められたりして、山田自身憂き目に遭ったりと、折角暹羅に渡っても付いてないなあと思う。 日本人町って、最盛期にはアユタヤで1500人位いたそうなんだと。 しかし、新たに就いた暹羅の王様が、自分とこに権益が回る様に仕向けさせ、日本人町を壊滅させてしまったのだ。 其処から運の尽き。 日本人町は、朱印船貿易から続いた海外渡航も制限が成されてしまい、衰退の一途を辿ってしまった。
ここで、鎖国したかったからと言う結果論をぶっちゃけた所で却って本質を曇らせる。 結果的に海外渡航を制限する事に因って、鎖国と言うネーミングが付いたんだけど。 これは素焼の土器が発見されたから縄文土器だとか、弥生土器だとかのネーミングが付いたのと一緒。 幕府が鎖国しますと宣言したから鎖国した訳ではない。 そんなのは当たり前だ。 過去起きた事を現代の眼鏡で通して俯瞰しているだけに過ぎん。 昔の人は縄文人と名乗ってなんかいない。 況してや弥生人もだ。
しかし、縄文人とか弥生人とかの違いなんて無い。 良く言われるが、ソース顔が縄文人、醤油顔が弥生人と言う簡単な括りをさせられているが、土器が発見された時期に活躍してた人をその土器の特徴に捉えて縄文人、そして弥生人と、そうさせただけだ。 うっすい顔してるのに胸毛ボーボーの人はどう説明するんだ。 単純に、此れ迄居なかったとされる、うっすい顔した人が古の日本列島で発見されたのは、春秋戦国、三国志の時代に於ける支那大陸の住民が戦乱を逃れたり、商圏拡大の為に日本に大量にやって来たから他ない。 三国志(又は春秋戦国)の時代と、弥生時代の開幕(3000年前)はほぼ同じ。 憶測の域を出ないが。
鎖国から大分離れたが、得てして、歴史を扱う学問はこの様な陥穽に陥り勝ちである。 弥生時代ではなく、本来は日本とて東洋史(中国史)の一部だったのである。 誤解無き様だが、東洋史てのは元々中国史として位置付けられていたのだが、明治時代の隣国清が余りにもへぼかった為に東アジアの歴史を扱う際に、中国じゃ表舞台の主役になれそうも無いので、西洋に対しての、と言う意味で日本を含めといた東洋の名を扱ったのである。 日本人は、自国の歴史のみで完結出来ない事を理解していた。
当たり前だが、戦国時代も江戸時代も、日本人は海外で大活躍していたのだ。 海外の関係無くして日本の歴史は有り得ない。 山田長政も、そんな歴史の一部であった。
さて、映画の話だが、現地人がなんで日本語なんだよ。 古めかしい候文も無し。 半世紀前の映画なのに、喋りは現代的なんだな。 皮肉にも、製作される年代が新しければ新しい程、様式も言葉も古くなってるのだ。
水戸黄門は最後の新しい時代劇だ。 あれに歴史のなんたるかを汲み取ってはいけない。
だが、あれを観る老人達は時代考証とかそんなものはどうでもいいのだろうと思えてしまう。
下手すれば、時代劇の方が難解な現代よりも判り易いのだ。 単純に勧善懲悪で纏める事が出来るからだ。
必殺シリーズはそう言うのを逆手に取ったホームドラマである。 自分はそう言うのが好きだが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.23 02:18:30
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