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カテゴリ:毒電波テレビ感想
何故か、黄門さまが北海道へ渡ったと言うお話です。 そんで、黄門さまがアイヌの酋長と交渉してるみたいな描写がある。 さて、50年前の製作とは言え果てしなく現代と言わざるを得ない。
この前の山田長政といい、歴史学がそれ程重要視されてもおらず、浸透してないから現代の(その当時の)価値観のスコープでしかものが見れないんだなあ。 アイヌと言うのは、今更説明する迄もないが、「人」と言う意味です。
当時の人達が、自分達が人であるからこそアイヌと言ったのである。 この映画は頻りにシャモとかアイヌとか、現代で言われてる様な事を連呼してるが、当然和人はシャモではない。 シャモとは「隣人」と言う意味である。 当時の蝦夷社会では和人と蝦夷の区別は付かない。 語弊が有るが、見た目と違い位は判るが、異民族同士ではないのである。
この映画でもあるが、大酋長は和人の血を引いているて事もあり、この蝦夷社会ではそんなちゃんぽんは当たり前であった。
松前藩は渡(ワタリ)と言う蝦夷集団(アイヌね)を迎えつつ伸し上がって出来たものである。 蝦夷の和人社会にもアイヌ(毛深い人)は居て、アイヌの社会にも和人の様な性質の人間は居た。 市川雷蔵が出てたが、やっぱりいい男である。 美しいという言葉の似合う役者だな。
虚無僧の恰好をした男だ。 翻って、長谷川一夫は黄門様とシャムシャイン?(シャクシャイン?)の二役をやっていたな。 勝新もいたな。 アイヌの踊り?この映画ではなんか阿波踊りみたいな踊り方をしてたな。
そんで、映画の締め括りでは黄門さまが何時もの水戸黄門節の様な感じで、大円団でアイヌも和人も日本人だと言うのである。
そんなこというなよー。 元々日本人だろ。
偶々、蝦夷の商人がアイヌ達から上米撥ねて騙したから、交流が閉ざされ事により、アイヌの文化が保持されたのである。 異民族ではない。
樺太や千島の住民は異民族…だったのか? これも、あれなんだが、別に全くの異民族ではない。 千島の住民はアリューシャン列島のアレウト族に近いとされてるが、もう日本人だ。 大半はオーソドクスに帰依しロシアへ帰化してしまったが。
もっと言ってしまえば、朝鮮人も日本人の亜族である。 今の朝鮮は元々滿洲系と倭人系の混淆だったのだが蒙古支那の影響を受けつつ、統一されてしまったので異民族の様に感じるだけである。 今の韓国人の国民性を見よ。 日本が嫌いな天邪鬼なだけで、殆ど日本そのものである。 前にも何度か言い続けてきたが、戦中戦後の一時期まで朝鮮と日本は民族的にも殆ど一体化していたのである。 助詞とかのちょっとした意味はハングルが添えられているが、それ以外は殆ど格式が強い様な漢字の熟語を主とした日本語である。 戦後間もない頃の朝鮮で広まってた新聞、そして朝鮮人達の文章を見よ。 ちょっと漢字と熟語が多く読み辛いが日本人でも理解が出来る文章である。
それから暫く経って、ハングルにしてしまい、言葉もハングルらしく言い換えられてしまったから理解が出来なくなってしまったのである。
早い話、決して分かり合えない集団が、民族である。 同じ文化を共有するのだから。
そんなら、日本は多民族国家じゃないか? オタクとか、ヤンキーとか、ギャルとか、引き籠もりとか、おばさんとか。
だけど箸を使い、家の中では靴を脱ぐと言うのは日本人ならではの慣習である。 醤油の匂いに慣れているのは日本人である。 ラモスは醤油の匂いに慣れるまで時間が掛かったそうだ。
日本人は朝鮮の至る所に衍るのキムチの臭いが耐えられないそうだが。
最後はもうどうでも良くなってしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.28 05:20:37
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