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カテゴリ:独断と偏見な時評
チビノリダーめ…。 リアル喪男が四年程の交際を重ねて一歳年上の一般人と結婚したと言うのだ! その名に違わず、未だにチビで、顔も厳つくどう見たってキモメンの部類に入るのに、世の中は良く判らんな。 この前の内藤大助物語で本人キャラを演じてて、やる役はしょうもない情けない男役ばかりで気に入ってたが…。
まあ、良いんじゃないのかな? 人間顔じゃないと言うが、その顔じゃないに到達する迄どの位の努力を要せねばならんのだろうか? クリリンが18号と添遂げた時は読者は挙って裏切り者と侮蔑の言葉をぶつけたのだ。 自分の番になった途端、どう取繕うのだ。
仮令、喪男が(喪女や男女のアイドルもそうだけど)結婚しても童貞の心を忘れるんでないぞ。
それは、慈悲なり。 人の苦しみは我が苦しみ。 人の悲しみは我が悲しみ。 人の喜びは我が喜び。 人の楽しみは我が楽しみ。 万民と苦楽を共にする。
だが単なる人の子にその心を抱かせるのは難しい。 人は煩悩塗れである。 その苦しみに堪えられずに人は恋をして結婚して煩悩に塗れて行く。
愛は煩悩。 今の愛に通じる様な表現は、慈悲である。 だが、それは途轍もなく重い。 それが出来る人は既に佛である。
仏って書いてしまったが、兎に角、素晴らしい人である。 考えてみれば、キリストって仏教徒だよなあ。 その行動、その考え方、身を捧げても人に愛を説く姿は、正に地上に降り立った天使、菩薩そのものである。 人々の全ての罪を磔にされる十字架に準えるが如く背負い、 頭を軋ませ肉を食い千切らせる茨の冠を被りつつ磔に臨み、 罪を自覚しない人々に身を鑓で穿たれても…、
それでも人には愛を説かねばならぬ。 人には、慈悲を与えねばならぬ。
北斗の拳だなあ。 ケンシロウが永遠に憧れるのは、シュウやトキの二人である。 シュウはサウザーに。 トキはラオウに。 カイオウにはケンシロウが。 永遠に、煩悶に苛まれる衆生を解き放たねばならぬ。 カイオウには、あの往きし日の英雄の儘、死なす事が最上の慈悲である。 少年漫画だけど、凄くテーマが重い。
ケンシロウは、今迄自分は人並みの暮らしが出来ると思っていた。 核戦争と伝承者争いで変わってしまった。 だが、力無きものは、生きながら地獄に落とされるが如く、迷い惑い苦しみ、苛まれ悶え最期には縊り殺される。 ケンシロウはその授けられた力で弱き人々を救わんと腹を括る。 そのエピソードを垣間見る事が出来るのは、北斗の拳ZEROだ。 DVD見たけど、あれは良かったな。 そんで、ラストランドの時のCVこやっさんの新北斗の拳OVAに繋がる。
そういや、リアルなキリストみたいな人って夜回り先生もそうだよなあ。 痩せてて、髭を生やすのはなんかキリストっぽい。 本人は自覚してないだろうけど、丸で聖なる人っぽい。
聖なる人は、決して見返りを求めない。 死ぬ事が判っている。 死を背にした人は、即物的な見返りが帰って来ない事を良く判っている。 生きている時にどれだけ、良い事(此処では即物的なものではない)、慈悲を説けるか。
自棄にはならずに、そして衒わずに、そんな人に、なりたい、とも思わない。
目標でもないし。 生き方に倣えばいい。
岡崎律子のフルバや新居昭乃の空の青さなんかいい曲だよなあ。 これぞネ申曲か。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.05.05 02:27:54
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