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2007年03月11日
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わたしは、前に、このように書いた。

「詩を読んで(理解をして)、何をわたしは書けばよいのだろうか。

ふたつの考え方があると思う。ひとつは、安部公房の人生の総体を考えて、その詩が一体安部公房という人と、その人の人生にとって、またその後の諸作品にとって、どのような価値があるかを考える立場。もうひとつは、詩を独立した作品として、それを詩のみとして、その価値を考える立場。」

もうひとつの立場があるということに、その後あれこれと考えて思い到った。それは、歴史的に、通史的に、詩作品の価値を考える立場である。これは、詩史の上で、安部公房のその試作品は、どのような価値を有するかを考えることになるだろう。

「没我の地平」と「無名詩集」の安部公房は、またそれらの作品は、日本の詩の歴史の上で、どのように考えられるのだろうか。こう考えてみて、ひとつのことだけははっきりしている。それは、安部公房の作品は、どれも戦争詩ではないこと、戦争という国家間の戦いや、そのために動員される日本人達、日本人の大人達や青少年達の姿を歌ったものでは、全然ないということだ。むしろそのような政情とは別に、それに背をむけるようにして、リルケに学びながら、思弁的、観念的な世界に集中している。「没我の地平」の二つ目の詩は、次のようなものである。

理性の倦怠

八つの手をもて織りなせる
七つに光る魔の網よ
吾が怖るゝは汝が綾の
無形の夢の誘ひにあらず

沈黙して待てる恐怖の墓
面つゝむ美貌の面紗(きぬ)よ
夕べ渇きに湖辺(うみべ)に走る
吾が獣群を拒むのは誰

おゝ此の涯なしの死の巣ごもり
受動の傷に此の血失せ
昼の転身(みがへ)に果つる迄
天の没我に息絶ゆる迄


安部公房は、作家として名をなしていた1967年(昭和42年)に、昭和20代に書いた短編集「夢の逃亡」の著者による後書きで、「リルケというのは私にとって、じつは第二次世界大戦中のシンボルだったのだ。いま考えてみると、あのシンボルが意味しているものは、「死者の平和」だったような気もする。死となれあうために、私が選んだ、死の国への案内図だったのだ。私の戦後は、こんなふうに、まず死のイメージから出発しなければならなかったのである。」と書いている。

第2次世界大戦の戦時下にあって、「問題下降に依る肯定の批判」(1942年。安部公房18歳)や「詩と詩人(意識と無意識)」(1944年。20歳)を書いて理性的に自分の人生を考えていた安部公房は、他方、詩作品という形で、その理論篇を実作によって実践していた。安部公房の詩の理論からいっても、また当時の時代状況からいっても、10代の終わりから20代の始めにかけての安部公房にとって、現実と理想とは、詩人については前回書いた通りの姿であり、
詩作をするということについては、上の詩にある通りの姿であったと思われる。

この詩は何を歌っているのか。

題名にある通り、理性というものの倦怠の姿を書いている。それは、如何様に書かれているのか。

八つの手をもて織りなせる
七つに光る魔の網よ
吾が怖るゝは汝が綾の
無形の夢の誘ひにあらず

この第1連がむつかしい。「八つの手をもて織りなせる 七つに光る魔の網よ」というのが、もう解らない。これはリルケの形象詩集からの本歌取り、または引用なのであろうか。いづれにしても、ここで問題なのは、網であり、それが人間にとって「魔の網」だということだ。「汝」は、この網に対する呼び掛け。わたしは、この魔の網を恐ろしいと思っているのでは無いといっている。この網の綾は、「無形の夢」を誘うようである。わたしは、その誘い、誘惑が恐ろしいと思っているのでは無い。それは、いいのだ。そうではなくて、

沈黙して待てる恐怖の墓
面つゝむ美貌の面紗(きぬ)よ
夕べ渇きに湖辺(うみべ)に走る
吾が獣群を拒むのは誰

とあるように、恐ろしいのは、「沈黙して待てる恐怖の墓」である。これを次の連では、「此の涯なしの死の巣ごもり」といっている。

おゝ此の涯なしの死の巣ごもり
受動の傷に此の血失せ
昼の転身(みがへ)に果つる迄
天の没我に息絶ゆる迄

転身(みがへ)については、既に理論篇にて説明した通り。これは詩人の技であり、努力である。転身という無私の行為、そういう意味では、没我の行為の果てに見える第3の客観、これを発見することが詩人の仕事である(こう書いてみると、この方法は、安部公房の散文の比喩の作文の秘訣であるかのように思われる)。それを「昼の転身(みがへ)に果つる迄 天の没我に息絶ゆる迄」といっている。この「世界―内在」と「世界内―在」の次元変換の繰り返し、繰り返す詩人の行為の様子を、「おゝ此の涯なしの死の巣ごもり」と嘆いているのだ。第3の客観、すなわち確たる詩的イメージ、詩的形象を発見できない詩人にとって、それがかなわない限り、詩人のいる場所は、「沈黙して待てる恐怖の墓」である。この墓に入ること、陥ることが、恐ろしいのだと、そう歌っている。

それでは、

面つゝむ美貌の面紗(きぬ)よ
夕べ渇きに湖辺(うみべ)に走る
吾が獣群を拒むのは誰

これは、何をいっているのだろうか。

「面つゝむ美貌の面紗(きぬ)」は、「沈黙して待てる恐怖の墓」の言い変えである。事物の外面を包む、美しいきぬのような言葉があるが、その言葉の指し示す何ものか、これは絶えず逃亡しようとし、その名辞の指し示す固定した範囲を逸脱しようとし、逃れようとする意志のある生物だ。名づけられぬ生物、意志のある夢であり、言語の本質だといっている。わたしのそのような意志の表出を拒むのは誰か、もしそのような誰かがいるとすると、わたしの恐れるものこそは、そのようなものである。なぜならその誰かにわたしが屈すると、忽ちにして、わたしの行為の場所は、名前だけの墓場になってしまうからだ。そのような墓場を詩人は恐れる。

この詩の第2連を理解するには、後年「夢の逃亡」と題して、昭和20年代に安部公房が書いた短編をまとめた中に、本題となっている作品「夢の逃亡」を読むと、これが、そのまま、名前と意味(安部公房にとって意味は生物であり、生命であり、絶えず動いて生きているものだ)の関係で、説明され、形象化され、物語られている。夢の逃亡は、1949年(昭和24年)の作品、安部公房25歳の作品である。「没我の地平」は、1946年、昭和21年、安部公房22歳のときの詩集。無名詩集は、その一年後の詩集である。この「理性の倦怠」で歌われたことは、そのまま3年後に、散文に展開されて、物語られているということになる。どうか、この作品を読んでもらいたい。

さて、題が「理性の倦怠」であるとは、そのような獣達に振り回されるようにして(「受動の傷に此の血失せ」)、しかし尚、第3の客観、すなわち没我の果てに見えるものを言葉で表現するということができるまで(「昼の転身(みがへ)に果つる迄 天の没我に息絶ゆる迄」)、詩人の繰り返す次元変換、すなわち転身を「此の涯なしの死の巣ごもり」であることを、既に最初から詩人の理性は読んでおり、知ってしまっているのだという意味である。その仕組みを知っているのになお、知っていて行わねばならぬ、その苦痛と倦怠を歌っている。

こうして考えてくると、第1連、

八つの手をもて織りなせる
七つに光る魔の網よ
吾が怖るゝは汝が綾の
無形の夢の誘ひにあらず


確かに、詩人の恐れるものは、魔の網の綾が美しく誘う無形の夢などではないということがわかる。無形の夢こそ獣達であり、それは詩人の恐れるものではなく、むしろ求めるものであるからだ。

安部公房は、この「理性の倦怠」を、無名詩集では、「倦怠」と改題して、次のように詩も改作して、歌っている。

倦怠

蜘蛛よ
心の様にお前の全身が輝く時
夢は無形の中に網を張る
おゝ死の綾織よ
涯しない巣ごもりの中でお前は幻覚する
渇して湖辺(うみべ)に走る一群のけだものを


「八つの手をもて織りなせる 七つに光る魔の網よ」というような難しい表現はなくなっている。その代わり、蜘蛛がこの網の主人公となっている。この詩を読むと、この倦怠という題のもとに歌われた蜘蛛とは、ほとんどその後の安部公房の小説の主人公の意識であるかのように見える。

さて、「没我の地平」と「無名詩集」の間は、1年間であるが、このように、前者の作品が、後者の作品に継承的に反映されているばかりでなく、一層洗練され、そうして安部公房自身が自分自身の表現を獲得していると考えることができる。これが前者と後者の関係の一部ではないだろうか。








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最終更新日  2007年03月11日 11時05分48秒


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