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Wie wenn am Feiertage Fr. Hoelderlin Wie wenn am Feiertage, das Feld zu sehn, Ein Landmann geht, des Morgens, wenn Aus heisser Nacht die kuelenden Blitze fielen Die ganze Zeit und fern noch toenet der Donner, In sein Gestade wieder tritt der Strom, Und Frisch der Boden gruent Und von des Himmels erfreuendem Regern Der Weinstock trauft und glaenzend In stiller Sonne stehn die Baeume des Haines: ヘルダーリンの1800年の詩。全然古くない。つまり、時代を感じさせない。詩がどのように何から生れるかを、そのまま表しているかのようだ。これは、第1連。 意味の流れが一筋通り、しかし、語順は破格。つまり、言葉が口からあふれ出てくる順序に書き付けたら、意味の流れのある詩になったという趣き。備忘のために記す。 参考までに、日本語訳を以下に。岩波文庫「ドイツ名詩選」(生野幸吉・檜山哲彦編)から。 あたかも、祭りの日の朝 あたかも、祭りの日の朝 野を見んと農夫が歩みゆけば、 夜もすがら暑い闇を爽涼の電光が おちつづけ、いまなお雷鳴は遠くひびきながらも、 あふれた流れはふたたび川筋をゆき、 大地はみどりあざやかに、 葡萄の木は天よりの よろこばしい雨をしたたらせ、森の樹々が しづかな陽光のうちにかがやき立つように 訳はたしかに訳だが、原文のようではない。原文ではない。原文とは違う。音が違う。したがって意味が。読んだ順序で意味がやって来るのだ。翻訳の限界。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年08月28日 20時38分38秒
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