2004年の入院の時書いたノートやmemoをようやく読み直すことがようやくできた。
家族に2004年の肝炎最悪化ステロイドパルス療法の後、母さんは頭がおかしくていたと言われてた。
2回目の入院で当時を振り返っても思い出せないことが多かったので、怖く読めなかったノートを家に帰ってようやく読み直した。
読み直して眠剤の使用が入院の長期かの原因だと分かったと、父さんに話した。
2004年の劇症化の時のことを父さんに聞いた。
「もう駄目かもと思った」
「どうすることも出来ないし、血漿交換もステロイドパルスでも出来ることはしてもらうしか無いと」
「肝生検しても何もわからなかったし」
「急に肝臓移植とか言われて精神的におかしくなるの当たり前だよな」
「でも変なこと言っていたぞ」
私{ステロイドを大量に点滴すると幻覚が出る時間がある。ステロイドによる障害だと思う}
{あとは眠剤をたくさん使いすぎてそれで、食欲が押さえられなくなる副作用があったと思う。
それで糖尿が悪化し、入院も長引いた。今になってわかったけどどうしようもなかった}
「後悔しても戻れないから。病気と一緒に生きるしか無いだろう。俺にはどうしようもない。
可哀相と言えばいい物でもないし。ちゃかしてはいない。俺だって辛い」と父さんが言った。
当時危ないと言うとき娘に病気のことを言ったか聞くと
「危ないとは言えなかった。本当のことは娘も息子も知らないだろう」と言う。
私は話をした後、ブログに書き込みをしていた。
夕飯は鍋にしようと話していて父さんが用意をしていた。
父さんが一人で鍋を食べる音がしていたがブログを書き込みしていた。
終わって{どうして声かけてくれないの?}と聞くと・・・・・
・・・「何で俺が呼ばなきゃならないんだ。」
・・・・「娘は部屋で寝ているし。起こされないと起きない。起こしてもられると思っている」
また怒っている。
怒る気持ちも少し分かるような気がしてきた。
娘を起こしに行く。
娘に「母さんの病気は治らないし、先いくら生きるか分からないの知ってる?」と聞いてみた。
「知ってるよ。」と娘が言った。
どこまで理解しているのかは分からないが、入院中毎日携帯から書いたブログをメールで送った。
多分読んで理解したことも多いと思う。
やっと本音で家族と話が出来た。
病気のことを深刻に考えすぎて少し落ち込んでいたけど、落ち込んでばかりはいられない。
早く入院前の体に戻して元気な母さんにならなきゃとファイトも湧いてきた。
ついでに2004年のプレドニンの減量の経過を整理した。
10ミリまで半年以上かかっている。
早く減らないかな?
筋トレしないと階段が手摺り無しに登れない程脚の筋肉が落ちている。
外は季節はずれの雪で真っ白だし・・異常気象だ!!
NHKの園芸雑誌にアンケートを送ったら、抽選で当たって肥料が送られてきた。
土いじりも早くしたくなった。籤に当たるとはラッキー!!