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美貌の魂!魂は時に絶叫する!友川カズキ(かずき)■後編■ 撮影・鈴木真貴氏 「友川かずきのうたが胸にしみいるとしたら、君は幸せだと思え。涙があふれたら、君は選ばれた人間だと思え。君にもまだ無償の愛に感応する心が残っていたのだ。無償の愛がまだ人の世に存在すること、それこそが友川が身をもってあがない、あかしてくれたことなのだ。 友川よ、久しく会わないが、元気か。 美貌にかげりはないか。酒量は落ちないか。私は君がよき友人たちに恵まれていることを知っている。その数は世の中の人の数よりは少ないが、一人の男が持つ水準をこえることはるかであることを知っている。」(大島渚) 「東北の詩人たちは限りなく世の中に拗ねてみせるが、また時にかぎりなく甘えてみせる。友川にはその両方がない。友川はテレ笑いをするということがない。そのことが世の中をとまどわせる。友川のあの大きな目でみつめられ問いかけられたとき人びとがとまどうように世の中はとまどう。 そうだ、あれは目というべきものではない。目玉なのである。誰しもがとまどう。ルドンの目玉にとまどうように。」(大島渚) - 篠原勝之 紅テント ポスター - 篠原勝之(しのはらかつゆき)は、北海道胆振管内室蘭市出身の芸術家。溶接オブジェを得意としていて、自称「鉄のゲージツ家」と名乗る。愛称は「クマさん」。タレントとしても活動。 <画:友川かずき> また、趣味で描いていた絵が美術評論家に認められ、1985年の個展を皮切りに、全国各地で精力的に個展を開き、中上健次・立松和平・石和鷹・藤沢周ら多くの芸術家たちから惜しみない賛辞を浴びた。 「友川かずきの絵画は見者の特権である愉楽と悲惨のなかに見る者を突き落とす。」 (中上健次/作家) 「東北の血筋ならばや清澄の水、かずきよイーハトーブの宇宙想いき」 (福島泰樹/歌人) 三上寛・友川かずき『御縁』(PSFV-2/ビデオ) 1994年5月7日 日本青年館大ホール ボーカル&アコースティック・ギター:友川かずき ボーカル&エレキギター:三上寛 ベース:吉沢元治 ピアノ:明田川荘之 サックス:梅津和時 パーカッション:石塚俊明 ピアノ&アコーディオン:永畑雅人 ワン・アンド・オンリーな2人のライヴ・ビデオ。フリージャズの吉沢元治や頭脳警察の石塚俊明を向こうに回してのインプロ・バトルを繰り広げつつ歌い叫ぶ肉弾戦。流行を超えた、アシッドフォークな70分が収められている。したがってバックは、日本のアシッド・ミュージシャンであるジャズメンが務めるよりない。 ・「サーカス」…作詩:中原中也/作曲:友川かずき 収録 ・「私の花」…作詩:永山則夫/作曲:友川かずき 収録 <競輪に耽溺する友川かずきの著作> 『競輪生活-バンクの風に吹かれて』 『友川かずきの競輪ぶっちぎり勝負』 秋田生まれのシンガーソングライター友川かずきが作詞作曲した「海のそばで殺された夢」は、ちあきと出逢ってしまった友川に創る必然があった。友川と出逢ったてしまったちあきなおみにはこの歌を選択し、唄う必然があった。そして私には聞く必然があった。それだけである。 これほど心凍らせる唄を私は知らない。 この「海のそばで殺された夢」は賛否両論を巻き起こした「夜へ急ぐ人」のシングルB面として昭和52年9月発売された。歴史的CD-BOX「ちあきなおみ・これくしょん ねえあんた」(2000年6月発売)でCD化されるまで、永く中古レコードのプレミア盤として在った。 「海のそばで殺された夢」 月夜の晩に 夢を見たよ 海のそばで 殺された夢 その時 僕は 泣いていたよ みじかく 青い あの春を 黒い波にもまれ もまれて やがて きれいな 海の底へ やさしくゆれて むかえておくれ 海の藻よ 僕を 殺してくれた人 とても穏やかな 顔立ちの人 その時 僕は 叫んでやった しがらむ すべてに 「ありがとう」と 生まれて このかた こんなに 素直になれた僕は 初めてだろうな よかったな よかったな やさしくなれて 生きてるうちに ちあきは、深夜TVで唄う友川を偶然見て、友川に楽曲の依頼をしたという。中島みゆきの書き下ろし「ルージュ」に続くシングル発売であり、ちあきの脱歌謡曲としての方向性を求める真摯な姿勢がうかがえる。人間のナマの声を発することができるアーティスト達の饗宴が見られる。 撮影/山木明子氏 幻の傑作「夜を急ぐ人」について、奥崎和仁氏は解説で 「ちあきが初めてこの楽曲を披露した時、担当のテレビディレクターも驚愕し、唖然としたという。 ちあき自身が発案したというそのパフォーマンスは、それまでのちあきにはあまり見られなかった感情をあらわにしての歌唱や、髪を振り乱し、全身や顔の表情、手の先まですべてを使い表現する、あまりにも斬新なものだった。曲の中に眠る、主人公の叫び、焦燥感、孤独などをちあき自身がすべて請け負い、自分の内面からすべて吐き出してしまうような、新たなちあきがステージの上にたっていたのだ。しかし、その表現方法にはディレクターも観客も度肝を抜かれてしまったらしい。」と述べている。 この「夜を急ぐ人」は紅白歌合戦で披露されるのだが、その度肝を抜くパフォーマンスは白組司会者に「なんとも気持ちの悪い歌ですね」とコメントされたが、ちあきは舞台袖でしてやったりとばかりに舌を出した。・・・かどうかは知らない。 一方、この「夜を急ぐ人」「海のそばで殺された夢」の楽曲提供に関して友川は 「いつだったか、新宿で、ちあきなおみのライブを聞き、彼女が唄ったジャニスジョプリンの歌、その声の凄まじさに、私はずっと鳥肌がたっていた。あとにもさきにも、そのような経験はなく、ジャニスも私は好きで高校時代からよく聴いていたが、本家にさえ、それは感じたことがなかったのである。どこにも、何ににも、それはまるで例えようのない、声、と言うより他はないのだが、その在りかに少しでも身を近づけようものなら、たちどころに首が吹き飛んでしまう、という、聴く側にもある種の覚悟が要る、声、であった。」と語り、さらに「意志と狂気のある声、その持ち主は、きっと歌手になるずっと前から歌手で、待たれて待たれて、歌に辿り着いたに違いない。」と述べている。 撮影/山木明子氏 ちあきは友川の詩曲の採用について『日本の女の狂乱を感じてもらえるとうれしい』と語っているという。またこの頃ある雑誌で『乙女にも娼婦にも変身できる女性、三枚目もやれる歌手として今日まで来た。器用貧乏的な感じで歌ってきたのね。だから逆にちあきなおみには何かがなかった』と語っている。まさに表現者としての自信に満ちた韜晦である。 それにしても、『紅とんぼ』で表現される演劇的空間の構成力・表現力の巧みさには舌を巻く。中島みゆきの「夜会」の1年前に「LADY DAY」という一人舞台があるという。ビリー・ホリデーの最後のステージを再現したものという。想像しただけでも身震いする思いである。 いまだ切れば血の出る情念フォークを歌いつづけている友川かずき。初期の友川の世界は同じ東北の青森県五所川原出身の三上寛のそれに似たものであった。これは、これこそ「怨歌」である。関西や九州に生まれた地方人と違って、東京にコンプレックスを持っている東北人が歌う逆上したかのような「怨歌」は多くの人間にダサイ暗いとバカにされその滑稽さを嗤われ、頭狂人の地方人に対する優越感を増幅させたが、井戸の底に石を落としても落としても水音が聞こえてこぬ現代、聴こえて来るのは頭狂人のエゴを嗤らう彼らの哄笑か? ....?! ◇CAT-O◇更新中! ◇楽天フリマ◇出品中! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年02月13日 22時37分44秒
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