皆様、ご挨拶が遅れました。
明けましておめでとうございます。
今年最初のブログカキコでございます。本年もよろしくお願いします。
昨年の12月はじめから、しつこいくらいに地元では予告を流していた
白虎隊のドラマを見てしまいました。 地元にいると、今さら白虎隊か、、、
というような気にもなるのですが つい見てしまうのは、やっぱ、地元だからだべ、、でしょうか。
ストーリー的にはあんな感じなのでしょうが、 なぜか、TV画面を見ていると、
涙があふれてくるのです。 特別、感動するシーンでもないのですが、涙がポロポロ。。と。。。
オヤジの涙。。。劇中の涙とは程遠い、想像したくも無い姿なのですが
どうってことないシーンでも、泣ける。
こんなはずでは無かったのですが、涙腺が壊れてしまった。かな・・・ 思えば、この十代の青年たちが命をかけて残した歴史の上に、
私たち会津人は生きている。
死ぬことだけが「生きること」と教えられ 立派に死ぬことだけしか
考えてはいけなかった青年たちに、私たちは 支えられている。 命の尊さを、いちばん感じていただろうこの青年たちに、、、命をかけて 戦った会津人に、
私たちは今、何か答えているんだろうか・・・・ そんなことをTVを見ながら考えていたわけでも無いのですが どういうわけか、涙が出る。
また、年取っちゃったからかなあ。。。。 会津は戦国城下町です。 いつ敵が襲ってきても、耐えられる城下町になっていました。
その名残が今でも、町のあちこちに見られます。
一番なのが、道路が込み入っている。とにかく、どこを走っても旧市街は
必ず突き当たりになっています。一直線に街中を通り抜けることはできません。
新しいバイパスなどは別ですが、とにかく街中はわかりにくい。 つまり、敵が攻めてきたときに、どこに行くかがすぐばれてしまわないように
道路が入り組んでいるのです。 会津の街中を車で移動しにくいのはそのためです。
始めて会津観光に来られた方は、なんでこんなに入り組んでいるの??? と、
思われるでしょうが、それが、戊辰戦争でも、長期間にわたって 守ってこれた一つの要因となっています。
昨年の秋に、飯盛山周辺を撮影しましたので、ご覧下さい。 | | | | 白虎隊士の墓 | 飯沼貞吉氏の墓 | 飯沼氏は白虎隊士唯一の生き残りで、この人のおかげで白虎隊の話が伝わりました。 | | | | | 鶴ヶ城方面を見ている隊士達の再現像。お城が遠くに小さく見えます。
これじゃ、城が燃えていると勘違いしても仕方ないか・・・という距離。 | | | | 隊士らが通ってきた隧道。中は凄いです。 | | | | | | | 2006年秋の会津祭りの出発準備の風景 | | | | 出陣式の合図 | 劇中に、会津の美しさを語るシーンが何度か出てきますが
会津は四季毎に本当に美しいまちです。一度、会津を訪ねてみてください
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