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カテゴリ:すこし結衣のこと
毎回言われることがある。 「よく考えてみろ。 それは枝葉の部分だろ。 本質はどこだ?」と。 いま、わたしは 手探りで仕事をしてる状態。 そのやり方で合ってるのか、 そういう言い方で相手に 不快感を与えずに伝えられているのか、 自分の中で、 これが私が今出来る最良の方法だと 思うやり方で、対応していってる。 でも、必ずと言っていいほど、 BOSSならそうするであろうソレと かなりズレている。 焦点が本質にきちんと合ってない。 相手が求めている答えに 繋がらない。 これは、仕事だけでなく、 きっと日常の中でも 言えることのような気がしてる。 私は今まで生きてきてる間、 枝葉の部分だけで満足して その本質が何であるかと 深く掘り下げて考えてみたことは なかった。 それがたとえ枝葉のことであっても その枝葉が本質の部分と 重なり合うものであれば 何も問題視する必要はないことだと 思う。 BOSSは言う。 本質に繋がらないものは無駄だと。 でもたとえ無駄だとわかっていても 仕事上では、あえて しなければいけない時もある。 でもわざわざ無駄な部分を 選んでするなと。 そんなところで満足してるなと。 思えば、わたしの行動の原動力は いつも 「自分がそうしたいから」 出先でお土産を買うのは お土産を渡したときの 友達の喜ぶ顔が見たいから。 小物作りだってそう。 こんなのが欲しいと思って それを作って完成させたときの 充実感と わたしにも出来たっていう 満足感があるから。 わたしは今までこんな 目先の満足感だけで 自分の生活を満たしてきた。 仕事もそう。 今までは与えられた仕事を 滞りなく、期限内にやり遂げて 職場のなかで楽しい雰囲気で 仕事を進めていくことで 満足していた。 でも今の仕事は それは当たり前の枝葉の部分で、 その先の本質の部分を 自分の力で作り上げていかなきゃ いけないんだとBOSSは言う。 出来るンだろうか。 私に出来るんだろうか。 おまえは気持ちで もう負けてる。 出来るんだろうか じゃなくて やります!だろうが! と BOSSに叱られる。 以前のわたしなら 叱られたら萎縮してしまってたけど 今のわたしは違う。 出来るとこまでは、やる。 かっこ悪くったって とことん食い下がっていくよ。 なんだかね、 枝葉の部分は無駄って言われたことが すごくショックだったりしてる。 人生には何も無駄な経験なんてないよ、 わたしは そう思ってる。 でもこのショックも 本質を知るための ひとつのステップでしかないんだ。 枝葉の部分。 うーーん。 何書きたかったんだっけ? 書いてて話が迷子になった。 仕切りなおしだな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年10月06日 12時25分16秒
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