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今朝オフィスで、ある一枚のファックスを見る。
訃報・・・・ 仕事で存じ上げている方がまだ40代という若さで お亡くなりなったのだと・・・ 私は直接お話をしたことはなかったのだけれど、 お話し振りや雰囲気など、いい感じの方だった。 仕事熱心であることはもちろんだけれど、 高飛車になることもなく、自然体で、恐らく 周りの部下の方も、仕事をやりすいのでは?という印象があった。 その組織では珍しいというか、人間味があるというか。 いわゆるエリートコースにのっていたらしいから、 貴重な存在だったと思う。 最近では、非常にそのご活躍も顕著であったのに。 突然の死。 一月ぐらいは病床にいたというが、以前はぽっちゃりめの 身体も洋服はゆるゆるになっていたという。 独身でらしたから、いつもお洋服がすこしラフな印象だったけど、 そこがまた、実直そうだった。 激務だったのだろう。容易に想像がつく。 言葉が悪いけど、なぜ、お嫁さんをもらわなかったのかと思う。 こんな平凡なOLの私でも、仕事しながら、自分の面倒見るのは、結構たいへんだと思うのに。 仕事がいくら人生のいきがいとはいえ、激務に激務をかさね、 普通の生活をする部分など、物理的にムリだっただろう。 なんとなく、不条理を感じる。 お給料だって、メイドさんを雇えるほどにはないだろうし、 日本はそんなシステム、あまりなさそう。。 本当に言葉を失ってしまった。 喪主はお母様である。 なんということなのか・・・・ せつないできごとでした。 神様が彼がこれ以上現世で苦しむのをみかねて、 およびになられたのでしょうか。 ただただ、ご冥福をお祈りするばかりです。 私は、自分の人生があとどれくらいあるのか、もちろんわかりません。 他のどの人とも一緒です。 今回のことで感じたのは、私は今ある私の身体の存在を まもってあげなくちゃな・・ということです。 私の体のことは、誰より私がわかるはずだし、 また、そういう努力はしなくちゃいけない。 無視したら、やっぱり、いけないのです。 義務というか、これは私の上司がよく使う言葉ですけど、 そういうことだと思います。 そうやって、気をつけてれば 病気にならないって保証はないじゃない?ということではないのです。 身体は生きている間になんというか、借りているというか、 自分だけど、自分だけのものじゃないというか。 そんなことを感じます。 私の母、半身不随ですが、高血圧なのに、ずっとずっと 無視してきました。 それが100%の原因ではないかもしれないけれど、 やはり、見ないふりをしていたのは、いいことだとは思えない。 母は臆病だから、逃げていたのかしら。 娘の私がこんなこというのも、申し訳ないけど・・・ でも、そうやって、母は身をもって、私たちに そんな普通の身体のあることのありがたさを 教えてくれたのでもあります。 朝歯をみがくとき、ちょっと疲れて腰をくねくねっと回すとき、 ふっと母のことを思うときがあります。 あーー、こんななんでもないことも、できなくなることは あるんだな。。と。 だから、わたしの身体に感謝します。 きちんと機能してくれることに。 そんなこと・・・なんです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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