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平成23年(2011年)3月11日(金曜)午後、東日本大震災(東北関東大震災)が発生しました。
私は東京タワーの近く、浜松町にある会社にいました。 会社は10階建のビルの10階です。 猛烈に激しい揺れが長時間、たぶん1分くらいだったんだと思います。 書類などが入っている、かなり重たい書類棚が激しく揺れて、いまにも倒れそうでした。 事務所の角にある理事長室の衝立(パーテション)が激しく揺れています。 事務所の端にある金庫が傾いてしまいました。 これは男性4人でなんとか立て直しました。 机の書類はもちろん、DeskTOPのPC本体も落下してしまいました。 よく見ると、PCケースが少しはずれてしまっています。 液晶ディスプレイも倒れました。 2~3分たってからでしょうか、余震が来ました。 最初と同じくらいの大きさで、また大きい書類棚が激しく揺れました。 私の席のすぐ後ろにある、書類棚が、ついに倒れてきました。 私のすぐ後ろに倒れたため、私の右足に直撃しました。 すぐ足を引き抜くことができましたが、かなり痛いです。 他のスタッフは机の下に隠れていて無事でしたので、 私もそうすればよかったと今となっては思います。 なんとか揺れがとまり、社内を見渡すと、すべての書類棚は倒れ、コート等を入れる 個人のロッカーも倒れました。 パーテションも倒れてしまいました。 人的被害が私の足だけだったのが奇跡と思われました。 後になって考えると、もう少し後ろにいたら、倒れた書類棚は頭を直撃していた わけで、ほんのタッチの差で命が助かったということだったのかもしれません。 TVが無事だったので、観てみると、お台場のフジテレビが映っており、黒煙が見えます。 会社の電話、個人の携帯電話、一切通じません。 家族への携帯のEメール、auのCメール、すべて通信エラーです。 小さいながらも何回か余震が来るし、社内も書類など散乱状態であったため 業務などは継続できるわけもなく、これは全員で帰宅しよう、ということになりました。 エレベータは停止しているので(動いていても使わない)、外の非常階段で降りることに しました。 足が痛みましたが、そんなことを言ってはいられません。 10階から1階までなんとか階段で降りました。 近くに「芝公園」という避難所があります。東京タワーの近くです。 そこまで会社の人たちと歩いて行きました。 近隣の多くの人が集まっていました。 相変わらず携帯電話はつながりにくい状態です。 小雨も降ってきました。 公園横に地下鉄の入り口があり、駅まで情報を聞いてきたスタッフによると、 「鉄道は全く動かず、復旧のめどはたたない」。 30分弱でしょうか、何をするでもなく、そこにいましたが、 揺れも落ち浮いたようなので、各自自宅に帰ることになりました。 自宅に携帯電話すると、ようやく通じました。 家の中はめちゃめちゃであること、 黒ラブななと、えりちゃんママは無事であること、 えりちゃんは学校にいると思うが、連絡がつかないこと、 がわかりました。 そこで、浜松町にいる私が、歩いてえりちゃんの学校(都内の私立中)まで行き、 引き取ることにしました。 えりちゃんは今日、部活のはずです。 会社の人と別れ、えりちゃんに電話しますが、案の定、全く通じません。 「通じない」というのは、呼び出し音が鳴らないもしくは携帯電話会社の 「回線が込み合っています」というアナウンスが出てくるということです。 何回かトライして、ようやく留守番電話が出ましたので、 学校へ迎えに行くこと 迎えに行くまで学校に残っていること を伝えました。 浜松町からえりちゃんの学校までの道のりは、 以前より「災害マップ」を入手して確認しており、 およそ見当がついています。 比較的大きな道に沿って歩くことにしました。 地下鉄、JR共に全く動いていないこともあり、 自分のように歩いている人がかなりいます。 都内は大きく揺れたといっても、たとえば建物が倒壊した などといったことはないのですが、それでも、歩いている途中に あった、溜池山王という地下鉄駅近くの比較的古いビルは 窓ガラスが数枚割れていました。 続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2011年03月13日 21時03分08秒
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