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テーマ:福岡自慢倶楽部!(442)
カテゴリ:福岡・博多
私が入学した小学校は
博多山笠の追い山が出る櫛田神社にほど近い 小さな小学校でした。 各学年2クラスしかなくて、1クラスの人数が32人。 博多の歓楽街、中州から橋を渡った 上川端商店街界隈が校区なので 児童たちはほとんどが商人の家の子どもたちでした。 学校の向かい側には広い公園。 マラソン大会ではここを走りました。 この学校にはわずか1年と1学期間しか通わなかったし 楽しい思い出ばかりじゃなかったけれど なぜかこの場所は愛おしく懐かしく 福岡に帰ったら足を運ばずにはいられません。 ここを離れた後 卒業までに2回転校しましたが この学校の校歌がいちばんよく覚えています。 給食はコッペパンと食パンが毎日交互に出て 牛乳と脱脂粉乳も交互でした。 朝は毎日グラウンドで全校集会があり マイムマイムなどのフォークダンスを踊っていたのを覚えています。 恵子ちゃん、キョンタン、宇佐美くん、香月さん、 みんな元気でしょうか。今も博多の街で暮らしていますか。 長男が生まれて育休中に帰省したときには すでに統廃合され、もう母校の門には別の小学校の名前がありました。 しかも、新しくなった学校もすでに別の場所に新校舎が建ち、 「旧校舎」との看板が.....。 もう小学校の校舎としては使われなくなった母校の校舎は 地域住民に開放されたり、体育館は新しい学校と 区域の中学校の使用施設となっていました。 そしてそして....... なんと今年度中に一部解体されるとのこと.......! 耐震強度不足のためだそうです。 ということは 今度帰ったときにはもう校舎は 懐かしい風景をとどめていないということですね。 ぎりぎり最後のお別れに間に合ったのでした。 私は母校と縁が薄いのかも......。 私が通った高校は当時木造校舎だったのですが 私が卒業した後に全面改築をして 各教室にベランダがついている立派な鉄筋の校舎に建て替り 教育実習に行った時には まるで知らない学校でした。 母校の大学は 私が卒業した後に学部の編成が変わり、 私が卒業した学科はなくなり、 おまけに大学の名前まで変わってしまいました。 やっぱり母校はいつまでも古巣であってほしいものですね。 帰ってきたら「おかえり」って迎えてほしいです。 1年生の時に 校門前で母に撮ってもらった写真があります。 同じ場所で次男の写真を撮りました。 なんだか感慨深い.......。 ♪そよ風かおる 玄海の 雲も明るい 空の色 いま白鳥の 学舎に はばたく雛の このちから ああ われら 冷泉校 櫛田の社の あかつきに 歌もひびけよ はつらつと いま校庭に 咲き匂う すがしき花と このこころ ああ われら 冷泉校 歴史を偲ぶ 那珂川に 伸びる文化の 影映す いま新しき 博多から かがやけ直き このえいち ああ われら 冷泉校 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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