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テーマ:追悼(26)
カテゴリ:福岡・博多
新幹線の車窓より 19日〜20日にかけて 長男を連れて福岡に帰省しました。 闘病中の従兄のお見舞いのためです。 長男はおじいちゃんたちに会うのと 新幹線に乗るのが楽しみで一緒に行きました。 従兄は1年4ヶ月前から食道ガンと胃ガンで闘病しており その後ガンが肺に転移して先月からホスピスに入っていました。 従兄は57歳ですがずっと独身で 4歳下の妹が看病をしてきました。 子どもの頃は私と従兄たち3人でよく一緒に遊んだものです。 私が関東に来てからはあまり会う機会もなく 何年かに一度ちょっと会う程度で どうしているかもほとんど知らないままでしたが 病気のことを聞いてずっと気になっていました。 長男の高校受験のこともあり 春休みになったら会いに行こうと思っていたのですが 3月の初めに従妹が 「桜を見られないかもしれない」と医者に言われたというので 一刻も早く会いに行こうと思い 19日〜20日の連休に行くことにしたのです。 従兄は日によっては寝たきりで呼吸も苦しいそうですが 私たちが行った時は体調もよさそうで 自分でトイレに行ったりもできて 起きて話も少しできました。 長男が高校に合格したことを話したので 「がんばれよ!」と激励してくれて 別れ際には握手をして別れました。 会えてよかったなぁ〜と思って帰ってきたのですが そのわずか5日後に訃報が届きました。 24日の夕方、安らかに眠るように息を引き取ったそうです。 19日に会いに行っておいて本当によかったとしみじみ思いました。 従兄は子どもの頃からとても優しい人で 最後まで自分のことよりも母親の心配ばかりしていたそうです。 伯母は老人ホームにいるのですが 従兄は伯母と家で二人で暮らしている時も 仕事に出かける前に伯母の食事を作ったり 世話も全部従兄がやっていました。 逝く直前のときも 従兄の手を握っていた伯母の手を振り払い もう施設に帰るように合図をしたそうです。 従妹が伯母に 「おかあさんが帰らないとお兄ちゃんは眠れないんだよ。」と言うと しぶしぶ伯母は帰ったそうです。 するとその後まもなく意識がなくなったということです。 母親を悲しませないように帰したのでしょう。 最後まで母親思いの従兄でした。 葬儀には私も参列しました。 息子に先立たれた伯母の悲しみは 察するに余りあるところですが 伯母はずっと泣きながらも 必死にこらえて葬儀を終えました。 もう何十年もゆっくり話をしていない従兄でしたが 福岡から帰って来ても毎日のように従兄のことを考えます。 ずっとそばにいたわけでもないのに 従兄がもういないということが信じられません。 やはり同じ会えなくても 遠くで生きているのともう別の世界に行ってしまっているのでは 全くちがいますね。 病気を治して元気になる、と言っていたそうですが (入院していた病院がホスピスだということは 本人には知らせられていませんでした。) 私の名前を呼んで握手をしてくれた時 もう自分は長くはないことをはっきりわかっていたと 私は思いました。 たくさんの友だちや仕事仲間の方が この1ヶ月次から次にお見舞いに来てくれたそうで 従兄によくしてくださったみなさんに 心から感謝します。 初めて会った私の息子に言ってくれた 「がんばれよ!」の一言が忘れられません。 しっかり受け止めてがんばらせようと思います。 マー坊どうもありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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