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ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

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2007.07.28
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カテゴリ:医療_糖尿病
最近、糖尿病に関するサイトを再びのぞくようになったのだが、いずれも糖尿病歴の浅い方達ばかりのサイトで、さて、私は何年目だろうと考えてみたら、もう24年目だった。ひええええええ。もうそんなになるのか。

中学3年生の春の健康診断の尿検査で糖が出ていると指摘され、町医者→大学病院での再検査を経て糖尿病と診断され、夏の終わりに2週間ほど大学病院の小児科に精密検査と教育を兼ねて入院した。それから24年である。

いろいろあった。一番つらかったのは学生時代に一人暮らしをしていた頃。人生で一番健康で病気の心配なんかなくてハメの外せる時期に、私はあまりに重いものを抱えていた。何度も病気を悪化させては入院を繰り返し、病院の天井を見つめながら、果たして私は今後まっとうな人生を送れるのだろうかと真っ暗な気持ちになったものだった。今の元気そのものの私からでは考えらないだろうが(笑)。

それから長い長い苦しい時期を経たある日、「どうせ糖尿病が治ることがないのなら、毎日それから逃げることを考えるより一緒に生きていく道を考えよう」と思うことが出来た。20代の前半だったと思う。

その日から20年近くの歳月が流れた。あれから就職もして結婚もして二人目の子供の誕生を控えた今、こうして人並みの、あるいはそれ以上のオモロイ(笑)人生を歩めていることを心から幸せに思っている。

糖尿病というのは、毎日の生活に深く関わる病気である。だから、私のように若くして発病すると、人生の転機のたびに管理の方法を根底からくつがえされることになる。たとえば今、手のかかる3歳児を抱えての毎日の血糖管理は、子どもがいなくて全て自分のペースで出来た頃のそれよりはるかに難しい。新しい生活を始めるたびに自分の発想の転換を迫られることになる。今後も、出産・授乳を経てインスリン注射による治療に一区切りをつけることになった時、自分の身体がどうなっているか、どんな環境になっているのかは分からない。でも、これからも医療チームの助けを借りながら、自分自身、納得の行く治療を続けて行きたいという気持ちは変わらない。





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最終更新日  2007.07.29 07:32:56



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