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カテゴリ:生活_夫婦・家族
ルナと仲の良い親戚の女の子・ディーは、隔週のペースで他州の母親の元からボストンの父親のところに週末を過ごしにやって来る。ディーの両親は別居中で、家庭裁判所の決定の下にそういう取り決めになった。親同士の仲が悪くて相手に子供を渡したがらず、親権を巡って子供がその諍いの犠牲になるというケースは残念ながらアメリカではさほど珍しくないのだが、おっとりとして穏やかなディーの性格にその状態が今後悪い影響を与えてしまうのではないかと、私達夫婦は第三者ながら密かに心配している。
今、冬休みをボストンで過ごしている姪っ子も、同じようなケースのいわば犠牲者だ。その結果、彼女は本来なら一番近い家族と過ごすべきホリデーシーズンを、父親とも母親とも過ごさず、我々のところで過ごしている。私も学生時代、休暇中に親戚の家に遊びには行ったが、姪っ子の状況って、私が自分の親に会わずにおじやおばの家で過ごすってことだよな、と思ったらやっぱりおかしい。 普段でもせせこましい我が家がさらに満員の通勤電車みたいな圧迫感で(笑)、しかもゲストルームなんてもんはナイので、彼女は居間のソファーベッドを広げて寝ているのだが、別にそれを気にする風でもなく、そして、特に何をするのでもなく、いかにもお気楽な女子大生らしくちんたらと過ごしている。 でも、この、特に何をするわけでもない家庭でのひとときというものが、きっと彼女が欲しているものなのだろう。そして、私が夫とともに子供たちに与え続けるべきものなのだ。 自分自身振り返って見ても、転勤族だった私達家族は各地を転々として、常に自分達の希望するような家に住んでいた訳ではないけれど、両親はいつでも私にとって居心地のいい場所にしてくれた。 毎日のように、ああ、こんな部屋があったら、もっと広かったらと思いながら私はこの家で過ごしているけれど、家の広さは関係ないのだ。私が思い描いているような perfect house はこの先見つけることは出来ないかもしれないけれど、いつでも帰りたくなるような perfect home を築くことは今でも出来る。そして、それは私が常に、どんなことよりも優先させるべきことなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.12.30 11:07:52
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