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ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

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2011.03.22
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義理のおじが急逝した。

日本に未曾有の震災が起こり、その週末は気もそぞろでネットのニュースが気になり仕事もなかなかはかどらずといった状態で、自分の気持ちを何とか落ち着けるのに必死だったのを何とか今日から立て直そうと迎えた月曜日のことだった。

心臓発作だった。去年の秋ごろから体調を崩していたらしいが、その日は直前まで伴侶である義理おばとごく普通に話をした後トイレに行って倒れてしまい、そのまま息を引き取ったとのこと。まだ66歳だった。

義母は上から女3人、男2人の5人きょうだいで、3番目の義母にとってはすぐ下の弟だった。いつもこういう親戚関係のことでは先頭に立って張り切る義母が、もうどう接してよいのか分からないほど気落ちしてしまい、何かの用事で電話をしても用件が終わるとすぐに電話を切ってしまうような状態だった。

葬儀は1週間後に執り行われることに決まった。私はこれまでにも親戚の葬儀に列席したことはあるが、ここまで近い親族の経験は初めてなので、キリスト教ベースの国であるアメリカの葬儀がどのように進行するのかまだよく分かっていなかった。ちなみに私の実家は神道、母の実家は仏教、どちらも葬式法事以外はほとんど関わっていないという典型的な日本の家族である。そして私も特定の宗教を信じているわけではない。

会場は義父母の教会で、最初にwakeという、日本の通夜みたいなものが1時間ほどあり、その後は教会の進行によるserviceが行なわれる。その後、埋葬、教会に戻っての会食という流れである。

Wakeでは、弔問者が祭壇の前に設置されたお棺に向かって列を作って順々に対面をし、親族にお悔やみの意を述べる時間である。

それに続くServiceについて、彼らはバプティストであるが、私の理解(なので間違っているかもしれないが)によると、彼らの考えでは、この世にいる人間は神が貸し出した(loan)ものであり、神によってその神の家である王国(kingdom)に呼び戻される。したがって人間は一生を終えると「家に帰る」といい、このserviceもhomegoing serviceと呼ばれる。その内容は牧師の説法、賛美歌斉唱、歌、遺族の話などであるが、今回は牧師の説話ひとつにしても、義父母のこの教会への貢献度や義理おじがこれまで関わってきた教会活動の関係から、この教会の現在の専属牧師だけではなく、すでにその地位を離れた牧師や知り合いの牧師などが次々と話をしてくださった。牧師というのは歌を歌えないといけないのだろうか?(日本の保育士さんがピアノを弾けないといけないように?)、誰もが説法の前後や途中にゴスペルを歌いだす。よく、アメリカでは教会で子供のころから歌っていたという歌手がデビューしたりするが、それがとてもよく分かる。義理おじがこの世を離れてしまったのは悲しいけれど、彼は良い人生を送った、それを祝福(celebrate)しよう、と長年の知人である牧師の一人が歌を歌い始めた時は、それまでなんとなくしんみりとしたムードだった会場から歌に合わせた拍手が入り、和やかで明るい雰囲気にさせてくれた。

サービスが終わると次は墓地へ埋葬に行く。親族や列席者はマイクロバスには乗らず、それぞれ自家用車で墓地へ向かうので、かなり長い列になる。フロントミラーのところにFuneralというサインをぶら下げ(外側に同様の小さな旗を立てることもある)目印をつけると、その長い列が切れないように赤信号を無視してもよい。その時に混乱や事故が起きぬよう、数台のパトカーが交差点をブロックしてくれる。このパトカーはその交差点で車の列が終わると、次の交差点へとサイレンを鳴らしながらものすごい勢いでぶっとばす。そして、次の交差点で、何事もなかったように同じおまわりさんが車から出て交通誘導をしている。すばらしきプロの技。

そのようにして墓地に到着すると、これはよくアメリカの映画のシーンでよく見られるような光景。お棺の周りを皆が囲み、牧師が最後の別れを告げ、列席者が一人ずつ花を添える。皆が車に戻るとき、おじの友人と思われる男性がまるで「じゃあな」とでも言うかのように、お棺の淵のところをとんとんと叩いた姿が目に入った。

おじが亡くなってしまったことも悲しいけれど、悲しむファミリーの姿を見るのはもっとつらかった。でも、こういうときに親戚が多いのは心強い。1番上の姉と義母は意外にしっかりとしていたが、一番気落ちしていたのは2番目の姉にあたるおば。でもその傍らにはその娘(使えるいとこ#1)がしっかりと寄り添いずっと肩を抱いていた。お棺を運ぶ計8名の男どもも、甥にあたるうちの夫をはじめ、全部自前(しかも皆図体がでかい 笑)。それぞれが悲しみを分かち合い、支え合う。それはこうした出来事を乗り越えるには大切なプロセスなのだと思った。

墓地からまた教会に戻り、会食の時間があった。食事は教会の会員たちが用意してくれたもので、きっとこれはお互いがいつも当番を決めてこうやって手伝うようになっているのだろう。参列客の誘導なども含めて、すべて教会の人たちがやってくれて、遺族が手を煩わされるようなことは基本的にない。

そして、さらにその後(これはたぶん、うちのファミリーだけ 笑)、義父母の家で集まりがあった。ここでも持ち寄り形式で食べ物とケーキの山。。。(それでも皆が持ち帰ってほとんどなくなってたけど)。この頃にはほとんどの人たちが元気も出て来て、集まった理由も忘れてしまうぐらいにぎやかな時間だった。子供たちは走り回って遊び、私には何人かが日本の様子を心配して聞いてくれた。

親戚の数が多いということは、正直、煩わしいと思うこともある。特に、嫁として入ったものには負担だ。そんなわけで、私は最近なるべく親戚の集まり(ゲームやろうとか誕生日会とか)は何かと理由をつけて断っていた。それに加え、今週は義理おじの件を機に何かと集まっているファミリーを見て、自分は日本が大変なことになっているのに自分の家族や親戚と一緒に過ごすことができないもどかしさやさびしさを感じることもあった。子供言葉でいえば「あんたたちばっかり、ずるい」だ。自分が祖国の震災でダメージを受けているのか、おじのことでダメージを受けているのか、何だかよく分からなくなってしまっていた。

教会でのサービスは、そんな私の意固地になっていた心を優しく和らげてくれた。そして、おそらく私の震災による心のダメージも一緒に癒してくれたのだと思う。このファミリーの結束の固さと温かさを改めて受け入れることもできた。

最後に、説教の中で心の中に残ったものをここに記しておこうと思う。
「(おじが)あまりに早く私たちの元を去ってしまったので、もしかしたらあなたたちの中には『ちゃんとさよならが言えただろうか』『十分に愛せただろうか』と思っている人がいるかもしれない。でも、今、この会場を包み込んでいる愛の深さを見れば、その答えはイエスだと言えるだろう」

この家族の誰もが持っている、大きなくりくりとした愛らしい目でいつも笑顔だったおじ、私を娘のようにかわいがってくれ、会うといつもその大きな体で息ができなくなるぐらいにぎゅっと抱きしめてくれたおじ。”Hope he is happy and safe wherever he is up in Heaven.”、親戚の子が子供たちだけでの祈りに言った可愛らしい言葉、それを私もおじに捧げたいと思う。





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最終更新日  2014.10.15 12:20:09
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